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教会からの帰りの車中での出来事についてのお伺い
 

 

池の水面に柔らかい春の陽射しを受けて、かげろうがゆらゆらと立ち上り、傍らの障子にせつなに形をかえて映し出されております。そのような何とも文字には著すことのできない美しい様子を眺めては、いよいよ春到来という感を深める今日この頃でございます。
 
このたびは、ホームページの更新が遅れまして、皆様には大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
また、いつも温かいお便りのメールを頂戴し、誠にありがとうございます。皆様からメールを頂戴いたしますと、本当に嬉しく、日々の活力に換えさせていただいております。
 

 

さて、今から書かせていただきますのは、昭和21年12月28日に初代会長様から私に頂戴いたしました尊いおさとしのお手紙でございます。
 
『お手紙拝見いたしました。

教会からの帰りの車中での出来事についてのお尋ねですが、それは貴女が家庭を持たれてからの事を教えてくれております。
自分の物を盗られたでなくても、他人様の物が盗られたという騒ぎに関わったという事は、深い貴女の先々のことを、神様は実に軽い形で教えてくれているのですから、よくお考えになってください。
主人を事情(金銭)ではなくまた身上(病気)でなく、盗られた失うという因縁が例え自分にあるとしても、信仰のある限り、因縁通り負けていく事はないはずです。転ばぬ先の杖を今から与えていただくことは、大きなご守護といえましょう。よく神様に御礼申し上げて、貴女も因縁自覚の上に、これに打ち勝っていく信仰をこれから成し遂げてください。
人間は今日あって明日を知りません。どんな因縁が自分にあるのか、またどんな運命が自分を待ち受けているのか、五里霧中の中を、つまづき転びして、水の泡のごとき幸福に酔ってしまっているかと思うと、深い嘆きの底に沈んだり、世は様々です。
一切はこの世を支配している理の働き、神様の身体と聞かせてくださる。この世の実態を知らぬゆえに迷っているのです。
後悔先に立たず、傷ついてから因縁だからしようがないと諦めるよりも、まずもって、自分の因縁をおぼろげながらでも悟らせていただき、そのうえに自分の今後の在り方を通り方を定めるのが、神様に受け取っていただける道ではないでしょうか。
芽生えてこようとする不幸災難も、これを納消して幸福の理と変えてしまう―この努めが人間にできないはずはありません。神様も切に切にそれをお望みで、『人間踏ん張れば、神も踏ん張る』とも、また『勇んでかかれば、ほこり散る』とも教えていただいております。
ですから、信仰は、一人一名のものです。十人十色の因縁なれば、それぞれの生き方の深さも巾(はば)も一人ひとり異なって不思議はありません。
『どうせこうせはこれ言わん言えん』と仰せになっておられる点をよく悟っていただかねばなりません。
他人には充分の信仰であっても、自分にはまだまだ足りない信仰の場合もありましょう。
その人その人、自らが悟って進むのが、信仰の信仰たる所です。
貴女も貴女の将来のために、子々孫々のために、この道を、どうでもという深い覚悟のもとになされなくては叶いますまい。
神様のための信仰でも、他人様のための信仰でもありません。
理を変えていくたった一つの道が、この尊い御教祖様がひながたの道を通じてお示しくださった、この教えであります事を、決して疑ってはならないと思います。
どうかしっかりと信仰の本道に進んでください。
どんな事を考え、どんな幸福を望んでも、理のないもの、無理なものは仮の姿で、泡の如きものです。
自らの魂から悪因縁を消して、善因縁の満ちるように、しっかり理を積んでください。おたすけが因縁消し、神様へのおつとめが徳を積む道であります。
それも本心つけて進んで行くものでなければ、理がありませんから、よくよく肝心の点を握ってしっかりお進みになってください。
『人間心を打ち忘れ、神の心になりてついてこい』とも、また『日々に心尽くする物種は、いつになりても変わりめがない』とも教えていただいているではありませんか。
しっかり心に納めて、神様を信じて、なお信じきって信じきって通らせてもらいなさい。
そうして通ったら、神様が御教祖様がどんな因縁の中も、火の中は火柱となり、水の中は水柱となって、必ず連れて通ってくださいます。神様の理を守るから、守られるのです。しっかりお通りなさい。』
 
こうしてお手紙の中に、繰り返し繰り返し、神様を信じて御教祖様を尊敬して通ることを教えてくださいました。
私は折りにふれ、時にふれ、起こってまいりました事柄を一つ一つ初代会長様にお尋ねをいたしまして、お言葉の中からまたお手紙によって教えていただきまして、ご丹精をいただいた幸せ者でございます。
だんだんの中にお育ていただきまして、やがて昭和22年7月8日、初代会長様にいただいた母の身上からのおさとしによって道一条の心を定めさせていただきまして、昭和22年8月13日に入込みをさせていただきました。
そして改めて愛町分教会の入込者としてその末席をけがすことになったのでございます。
 

 

  

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