天理教 愛町分教会 愛春布教所

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親の声に命をいただいて

 

 

今日は、愛春布教所の初代所長である、私の母のおたすけの一コマをお話させていただきます。

当時、私宅の近くに、あるご夫婦が住んでおられました。
長男をいただいて5、6年ほど経っており、一人ではさびしいので、もう一人子供がほしい、いただけるものなら男の子がほしいという願いを持っておられました。
初代会長様は常々、「この教会の門をくぐって、助からん者は一人もない。助かって当たり前で、むしろ助からんほうが不思議な教会だよ。それはまあ一つ言うてみれば、神様親様(おやさま)のお徳をいただいて、子供のない夫婦に子供をあげるのは何も難しいことではないよ。それだけではないよ。今度生まれてくる子供は女の子であっても、夫婦の信仰を見て、それを男の子に変えることができるよ。子供のない夫婦に子供をあげられるのだから、お金のないものに財産を作ってあげることなど、何も難しいことではないんだよ」とお話くださっておりましたので、そのご夫婦のお話を聞いた母は、この初代会長様のお話を持って、さっそくおたすけに出させていただきました。

先方には、母がおたすけに伺う前から、初代会長様のどうでも助けたいという御理がすでに流れていたのでしょう。その日初めて神様のお話をお取り次ぎさせていただいたわけですが、ご夫婦とも耳をかたむけて、熱心にお話を聞いてくださったのです。

また、次の日には、教会へお参りをさせていただいて、初代会長様にお目にかかり、赤ちゃんをいただくお願いをさせていただきましょうと、お話を進めさせていただくことができたのでした。

会長様に御理をいただくのでございますから、その時は、10日の夜に夜行列車で沼津を出発し、12日の祭典を勤めさせていただき、13日の夜また夜行列車に乗って、翌日の14日の夜明けに沼津に戻ってまいりました。
また、初めての方ですから、母は、旅費はご自分でお持ちくださいと言い出しかねたようで、そのため、自分の大嶋の一揃いの着物を古着屋へ持っていってお金に換えて、このご家内をお連れして、お教会にお参拝をさせていただいたのでした。

さて、お教会にて、初代会長様に、「子供をいただきたいのでございます」とお願いをさせていただきますと、初代会長様は、「さあ、僕の前へおいで。もっと前へおいで」とお声をかけてくださいまして、そのご婦人のお腹を三度撫でてくださり、また、後ろを向きなさいとおっしゃってくださいまして、また同じように背中を三度撫でてくださいました。
そして、会長様は、「さあ、神様、教祖(おやさま)のお徳をいただいて、お前さんたち夫婦に立派な男の子を授けてあげるよ。しかしながら、お前さんたち夫婦の信仰で、ご守護をいただいたのではないよ。このたびは、中に入ってくれたお助け人の誠真実で一時のところ助けていただくのだから、この助かった話をこれからお前さんはどこへでも持っていって、助かりましたとお話をさせてもらうのだよ。そうして通らせていただくことによって、お前さんたち夫婦が本当に助かってゆくのだよ」と、噛んでふくめるように、繰り返し繰り返しお話をしてくださいました。

そういたしております中に、ご家内が、何だか子供ができたようだということになりまして、医者に見てもらいましたところ、なんと妊娠二ヶ月との診断でした。

 

こうして、初代会長様の仰せになりましたとおり、立派な男の子を頂戴することができたのございます。

 


しかしながら、人間はあだないものでして、助かりますと、どうしてもお道の信仰が上っ調子になりがちなものでございます。

願いどおり子供はいただけ、また、ご主人のお仕事も誠に順調でした。
むしろ先にお道を聞かせていただいている私の家のほうが、重い病の妹をかかえて、事情にも難儀をしているという有様でした。
母は、その後も、ご夫婦のもとにおたすけに出させていただきましたが、ご夫婦は、初代会長様とお約束をされたのにもかかわらず、神様のお話をされるのがだんだん煩わしくなってきたようで、ついには、「遠藤さんはお金がないから、熱海へ越していったら、もうおたすけには来れないだろう」として、母にも告げず、突然、沼津からご主人の勤め先のある熱海へと引越をされてしまったのです。

母は、そんな事ではあきらめませんでしたので、そのご主人の勤め先をたずね、住まいを教えていただき、その転居先を訪ねさせていただきました。
夢にも思わなかった母の声にびっくりしたご家内は、裏口からそっと抜け出し、母がしびれをきらして帰るまで、ご近所の家へかくまってもらい、姿を現しませんでした。
それでも母は、また次の月、この間は裏口から逃げられたので今度は逃げられないようにと、裏口から再度訪問をさせていただきましたところ、今度は、玄関から逃げられてしまったといいます。

さあ三度目はどこから逃げるのだろうと思いながら、「神様、遠藤は決して負けませんよ」と心に念じつつ、三度目におたすけにうかがいましたところ、神様は不思議な理をお見せくださいました。

なんとあの逃げ続けていたご家内が、母が訪ねてくるのを待っており、初めて玄関の戸を開けて、迎え入れてくれたのでございます。
初代会長様は常々、「“おたすけ”にゆくんじゃないよ。自分が“おたすかり”にゆくのであって、皆、前生のお詫びに、因縁の場所へ出させていただいて、一つ一つ前生の因縁をおたすけによって消させていただくのだよ。また、おたすけは、中々助からない難しいおたすけほど、自分を助けてくれるものだよ。僕は、なかなか助からないで人さんが放ってしまったおたすけをお預かりして、丹誠させていただいて、皆、助かっていったよ。だからこそ、僕は、今日このようにけっこうになっているのだよ」と仰せになっておられましたので、母はこの時、初代会長様の親心にふれ、胸がいっぱいになったと後に語ってくれました。

話をもとに戻しますが、実は、ご家内が母を待っていてくれたのにはわけがありまして、この時、この家の中では、大変なことが起きておりました。


なんと、主人に女さんができていたのでございます。


もはや如何にお道は嫌いでも、嫌だと言っておれません。
ご家内は、神様におすがりするより他に道はないと思われたのでしょう。

 

 

母は、まず、ご家内に、以下のことを定めていただくよう、お願いをいたしました。
これから、2人でも3人でも人さんに寄っていただいて、お家を、お練り合いの場所とさせていただく事
また、母が熱海におたすけに参りました時には、母と一緒に、おたすけの真似事をさせていただいて歩かせていただく事


ただ、定めたことを、一回、二回させていただいたからといって、簡単に因縁がきれるものではありません。
その後、ご主人の浮気は、ご家内がお道の御用に進めば進むほどエスカレートしてゆきまして、やがて全然家に帰ってこなくなったのでございました。


そうなれば、当然、生活費もいただけなくなり、その日の暮らしにも事欠くようになります。
母は、たまり兼ねて、初代会長様に御理を頂戴させていただいたのでございます。
初代会長様は、「それは、ご家内の前生の因縁と、家柄の因縁でなってくるのであって、主人が決して悪いのではないんだよ。主人が間違った事をしているのではない、因縁がそうさせているのだよ。では、その因縁はどうやって消すことができるかということを、教えてくださっているのであって、このお道の信仰は、すでに宗教だ信心だというものではない。単なる拝み頼みの信仰であったら、病気が助かればいい、困ったことが助かればそれでいいとしてやめてもよかろうが、このお道の信仰は 、天理教の“天”という字を聞かしていただいたら一代命のある限りという信仰であるから、聞かしていただいたら、神様を信じて信じ切って通らせてもらうことが誠に大切だよ。『守るから守られる』、この理を断じて忘れてはいけないよ。主人も、家内や可愛い子供を捨てて、家を放って出ていって、決して良い事をしていると思ってはいない。こんな事をしていてはいけない、何とかしなければ駄目だと思ってはいるが、知らず知らず因縁に誘われているのだから、お前さんが信仰の始まり、せっかくつけていただいたお道を嫌って通ったお詫びを神様にしっかりさせていただいて、これからはできてもできなくても神様に定めた事を守って通らせていただいていると、神様があるよ。必ず先へいって、よかったという事が現れてくる。お前さんの本性がしっかりすわってくると、主人が自分で気が付いて帰って来てくれるか、または、相手の女さんに神様が働いて、主人を嫌って帰してくれるだろう。そうして気の毒だが、その女さんは、最後は黒肺になって出直しをするよ。また、出直しても引き取り手もなく、無縁さんになって、誠に気の毒なことになる。『人間踏ん張れば、神も踏ん張る』とも『勇んでかかれば、ホコリ散る』とも教えていただいているではないか。さあ、腹をすえて、しっかりお道を守って通らせてもらいなさい」と、誠に親心のこもった尊いおさとしを頂戴したのでした。


それでも人間は、あだないものでございまして、聞かせていただいた時は、「そうだ。まったくそうに違いない」と心に納めさせていただきましても、日々生かされている中に起きてくる厳しい現状の中に置かれては、心の迷いがまた出てきてまいりまして、因縁に負けてゆく者が多いのでございます。
ある日のこと、母は、家におりましたが、何だか急に胸が苦しくなり、胸騒ぎがしてまいりまして、フッとこのご婦人のことが頭に浮かんでまいりました。
そして、とるものもとりあえず熱海へ飛び、先方のお家にまいりますと、ご近所の信者さんも集まっており、大変な事態となっていたのです。


それは、ご家内が、その日の夕方頃、急に生きているのが嫌になって、死んでしまいたいとしきりと思えるようになり、いつの間にか、熱海の錦ヶ浦の崖の上に立っていたそうでございます。
小石を一つ二つと袂に入れ、いよいよ2人の男の子の手を握り、今まさに海に飛び込もうてした時、暗闇の中から、「死んじゃいけないよ。死ぬんじゃないよ」と、二度、初代会長様のお声が聞こえてきたといいます。
そのお声で、ハッと我にかえった時には、二人の子供が怯えて、「お母ちゃん、こわいよ。こわいよ」と泣き叫んでいる姿が初めて目に入ったのだそうです。
アア、私は大変な間違いをするところであったと、「もう大丈夫だよ。お母ちゃんは死なないよ。こわくはないよ」と、子供をなだめて、初代会長様のお声に助けられた感動の中、生きていてよかったと、親も子もオイオイと泣きながら、暗い夜道の中を家に戻ってきたところ、母と出会うことができたのでございます。

また、不思議なことはそれだけではありませんでした。
翌日の新聞に、ご主人と同じお仕事をしている仕事仲間のご家内で、苗字も同じ名前も同じという同姓同名の方がいらしたのですが、その方が、錦ヶ浦へ飛び込んで亡くなられたという報道が紙面でなされておりました。
同名異人――
誠に見る因縁、聞く因縁と申しますが、神様はどこまでも道を通させたいという思し召しであることを、改めて承知をさせていただいたのでございます。

 


後日、初代会長様がこのことをお耳になさいまして、若先生(のちの二代会長様)が、初代会長様のお言葉を持って、おたすけにお越しくださいました。
その日は熱海でもめずらしく雪が降っていたことを覚えております。
初代会長様からは、「これから先、決して心配はいらないよ。どうしても食べられなくなったら、いつでも子供を連れて教会へおいで。僕はね、どうでも道を通ろうという者は放っておけないのだよ。食べるものがなかったら、一椀のご飯を分け合うて通ろうよ。さあ元気を出して、僕と一緒に道を通ろうよ」と、身に余る、あたたかいお言葉をくださいました。
お取り次ぎくださった二代の会長様も泣いておられました。
そばで聞かせていただいている母も、道を聞いていてよかったという感動とともに、初代会長様のどんな日陰にいる者も決して見逃すことなくおたすけくださろうという深い親心に涙を流したのでございます。

こうして、ようやく生きる力を与えていただいた親子は、八方塞がりの中を、それでも天から降ろされた細い細い一本の助けの綱にかろうじてつかまって、一歩一歩助かる階段を上り始めたのでございます。

 


そうして、「これから先、どんなことがあっても、断じて道はやめません。この中を、神様をめどうに、初代会長様を尊敬して通らせていただきます」という誠真実を神様に受け取っていただける日が、ついにやってまいりまして、初代会長様のお徳を頂戴し、ついにご主人が、間違っていた事に気が付いてくれたのでした。
そして、自分から女さんと手を切りまして、長い間空けていた我が家に、家内や子供の待ち侘びている家庭に、戻ってきてくれたのでございました。

死んでしまっては、元も子もありません。
生きていて本当によかった。


一方、お相手の女さんは、それから肺を患い、一年ほどしてさらに重い黒肺になって、身上をかえされたのです。そうして、出直しをいたしましても、お骨の引き取り手もなく、終々、無縁仏になってしまいました。
誠に初代会長様の仰せになられた通りになったのでございます。
本当に因縁とは申せ、恐ろしいことでございました。

その後、このご夫婦は、闇の中から、「死ぬんじゃないよ。死んではいけないよ」と初代会長様のお声に助けていただいたその御恩を忘れることなく、それからはぼつぼつとこつこつと初代会長様の万分の一の道を通らせていただきまして、その後は、昔の平和な家庭に戻り、家族の絆がしっかり結ばれて、日々を幸せに通ることができましたことを、ここに申し上げておきましょう。


お話は変わりますが、ただいま日本では、自殺者が大変多いと聞かせていただきます。
この10年間の間に、恐ろしいことに自殺者が年間3万人を下ったことがないそうです。
去年は、3万2千人と聞かせていただいており、つまり、日本のどこかで毎日、一日に87人の方が自殺をされているのでございます。

おたすけをさせていただく者として、そういうお気の毒な方に出会った時は、迷わず、おたすけをさせていただこうではありませんか。
必ずや生きていて良かったと、喜んでいただける日がありましょう。
お願いいたします。

 

 

 

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