神様から頂いた62年目の身上(中編)
「あのお方はという立派な人でも、「そこはいけませんよ、こうして通られた方がいいじゃないでしょうか」と意見を言う者に対しては、それを嫌って、遠ざけてしまった。時には、闇から闇へその人間を葬ったこともある。そうして通った道があるから、お前さんは今世、お金に恵まれない、物に恵まれない、人の情に恵まれない。ああ、あの人は、こんなに親切にしてくださるから、いっそあの人に頼っていったら、なんとか良くなっていくんだろうと思って頼ると、お前さんの前生の因縁が相手にうつって、頼りにならなくなる」とおっしゃった。
「頼りになる人が、頼りにならなくなる。反対に薄情になる」とおっしゃいましたね。
「そうして最後は、独りになって、命さえ持っていくことのできないような、気の毒な運命に落ちていく」と。
ああ、私は、そんな恐ろしい道を前生通ってきたのかと思いましたねえ。でも、会長様がおっしゃるんですから、間違いのないことですね。
「さすれば、そうした道を通ってきたんだから、今世は、どうして通ったらいいかというと、お前さんは人を頼ってはいけない。神様と僕を頼って通りなさい。これからは、人を頼って通ってはいけないよ。神様と僕を信じて通りなさい。そうして、なおこれからは、このお道を聞かせていただいて、良くなろうとか、助かろうなんていうことは、微塵も心に思って信仰してはいけないよ。こうやったら助かるかしら、こうやったら良くなっていくかしらんっていうことは、微塵も心の中に思って信仰していってはいけないよ。じゃあ、何を思って、信仰して通ったらいいかというと、人さんが助かってくださること、人さんが喜んでくださることを見て、人さんの助かりを、ああ自分も助かったんだなあと思いなさい。人さんの喜びを見て、自分も一緒に喜ばせてもらいなさい。そうして通ったら、なんとか、神様が連れて通ってくださるだろう」とおっしゃった。
そのときに、会長様が、「僕もねえ」とおっしゃって、会長様が、ご自分の前生のお話をしてくださいました。
「あるとき、私はねえ、なかなか治りにくい眼の患いをした。自分も、あのお詫び、この定めとして、一生懸命お詫びをしたり定めたりして通るけど、いっこうに効き目がなかった。周りの信者さんからも、先生は、おたすけはとてもお上手な方で、信者さんがどんどん助かっていくのに、先生はどうして助からないんですかって言われるくらい、私自身も難儀をした」とおっしゃる。
眼が治らない。そのときに、親会長様のお話のなかから、ふっと心に思い当たったことは、私の前生は、いったいどんな道を通ってきたんだろうということ。
自分がどんなところに生まれたことは分かっているけどねえ、それまで、前生ということに思いを致したことがなかったという。
前生、どんな道を通ったか。いろいろ調べさせていただきましたら、5代前の先祖とおっしゃいましたねえ。
会長様がお生まれになったところは、東京ですねえ。会長様は生粋の江戸っ子ですよ。東京も日本橋。
でも、その5代前の先祖という方は、この愛知県の三河の出。三河の出である。資産家だったそうですけれども、どういう理由か分かりませんけれども、ある日突然、財産をすっかりまとめて、家内や子供を捨てて、今は東京、昔は江戸という、まあ東京へ出てまいりまして、始めた商売が高利貸し。
「ああいけないねえ、高利貸しは」とおっしゃった。「大変な商売を始めた」と。お金がありましたから。また、その高利貸しが、会長様ご自分のことでもおっしゃった。悪徳高利貸し。俗に言うところの悪徳高利貸しで、もうこの病人からは、一銭のお金も返ってこないと思うと、今か今かのアップアップしている病人さんの寝ている布団まで剥いで持ってきたと。
そういう酷いことをして、じゃあ自分はというと、妾(めかけ)の5人も6人も持って、贅沢三昧をして通ったそうですねえ。
そうして、最期には、両眼、盲(めくら)になった。両眼、盲になって出直しをしたという方が、先祖を調べたときに、5代前の先祖に、そういう変わった道を通った方があったそうです。
ああ、してみると、立派なご両親があるなかに、私が、会長様のお供をして東京にまいりましたとき、信者さんが車を、当時は信者さんだって車なんかない、ハイヤーを頼んでくださって、一日ぐるぐるぐるぐる東京のなかを回って歩いて、会長様にお楽しみいただいたことがございました。
ちょうど日本橋の交差点へまいりましたときに、信号で車が停まったときに、会長様がこうやって日本銀行の本店をこうやって指差して、「ここは、僕の生まれたところだよ」とおっしゃった。
「だからねえ、まあ言うなれば僕は、このお道の信仰をさせていただいたから、お金のなかに埋(うず)まったんじゃないよ。すでに、お金のなかに埋まって通るだけの徳は持っていた」とおっしゃった。
けど、神様の思惑で、谷底に突き落として、そのなかから立ち上がってくる理をご覧くださって、後に、お金のなかに埋(うず)まり、暇を持て余し、お通りいただいたけれども、会長様はお道がございましたから、お金で勝手をなさいませんでした。
身体は、持て余すぐらい暇がございましたけれども、ご自分の勝手に、この身体をお使いになりませんでした。
朝から夜まで、神様、神様として、神様一筋に生涯をお通りになられたわけなんですねえ。
その会長様は、そういう先祖があった。さすれば、自分の通った道から、立派な両親があるのに、蔵が3つもあったというんですからねえ、蔵が3つも。
今の三越の前身が、越後屋といいました。絹物専門に扱っている越後屋というのが今日の三越だそうですけれども、その越後屋という時代に、機場(はたば)を三箇所ぐらい持っていて、人を使って、絹物専門にその越後屋というところに納めたと。
蔵が3つもあった。そうして電気が、夕方になると30〜35ぐらいついた。
そういう、大きなお住いのなかに生まれたんですけれども、家柄の因縁と、その会長様の通られた前生因縁によって、我が子と認めてもらえないで、お母さんのお在所に預けられて、それから、気がついたときには7人も里親が変わっている。あっちの里親、こっちがいけないから向こうの里親に育てられる。
お道が入ったのは、髪結いさんの里親のところに預けられたときに、その髪結いさんにお道があって、お道が耳に入ったのが始まり。
ですから、「さすれば、私は、この5代前のごく変わった道を通った、この先祖の生まれ変わりではないかな。とすれば、皆さんと同じように、ご飯時にご飯ですといって、茶碗と箸持ってご飯を食べてなんかいちゃあ、いずれは、私は、地べたに茣蓙(ござ)を敷くようになる。ああそんな事になっちゃあいけない。どうせ、前生の因縁によって、地べたに茣蓙を敷かせていただく運命の者であったら、お道を聞かせていただいたんだから、これからは、このお道を聞かせていただいて、人さんに助かってもらうため、人さんに喜んでいただくために、地べたに茣蓙を敷いて一代通らせていただこう」会長様はおっしゃいましたねえ。
「一代でもし、まだ足りないよって神様おっしゃったら、二代通らせてもらおう。ああまだ足りないよとおっしゃったら、三代通らせてもらおう。三代も通ったら、なんとか神様が、人間として、人さんと肩を並べて通れるような運命においてくださるんじゃないかと思って、僕は、本当に道を、一筋を通らせていただくことを定めさせてもらった」
そうして、麹町大教会の初代の久保治三郎会長様のところの門を叩いて、そこに入り込みをさせていただかれたのが、お道の始まりでございます。
「私の心は、昔と変わっていないよ。形の上では、地べたに、いま茣蓙(ござ)を敷いておたすけをさせていただいてないけれども、心は昔と変わっていないよ。いま形の上で地べたに茣蓙を敷いたら、その数万の信者さんは、僕よりもっともっと低くならなかったら助かっていかない。それじゃあ皆さんに申し訳ないから、私は、いま形の上では、地べたに茣蓙を敷いていないけれども、心はその時代とまったく変わっていないよ。その変わらない心を、神様が誠真実としてお受け取りくださって、今日のこの愛町の理の栄えを頂いているんだよ」と仰せくださいました。
話は元に戻りますが、ああそうかと、じゃあ人さんに喜んでもらうことを自分の喜びとして、人さんが助かってくださることを自分の喜びとして、これから通らせてもらおう。一代で足りなかったら二代。二代で(後編へ続く)。
(中編)以上
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