ご守護の中にも親の声が(2

 

 夜中に出られてそれっきり、このご家族の消息は分かりません。

そのときに、最後に会長様が、「僕の言うとおりにおさめていかないと、年限が経って忘れた頃に、家の中で夫婦・親子・兄弟が、血で血を洗う刑事問題を引き起こすよ。だから相手を罪にしてはいけない。また、一円のお金も相手から取ってはいけない」このようなお言葉を手紙に書いて、会長様は送ってくださいました。

母は言うまでもなく、会長様に教えていただいたとおりに、この事件はおさめさせていただいたのでございます。

 

そして、それから十年経ちましたときに、一つの大きなおたすけに、母はあたることになりました。それが、このお家の事件でございます。

大嶋さんという、たいへん熱心なご婦人がおられました。いつも母のお伴をしては、あちらこちらと、おたすけについて行ってくださった。教会にも運んでくださる。

その大嶋さんの甥にあたる当主が、まだ独身のときに母親を亡くしまして、ちょっとグレました。けれど、自分としても、いつまでもこんなことをしていちゃいけない、ひとつなんとか立ち上がりたいというので、同族のおじさんのところにまいりまして、「おじさん、なんとか更生してやり直しをしたいと思う。ついてはお金が要るけど、必ず返しますからお金を貸していただきたい」と言って頼みに行った。

そうしましたら、そのおじさんが、ああそうかいと言ってくれれば良かったんですが、「何を言っているんだ。お前なんかに貸すお金は持ってない」と言ってポーンとはねられたわけ。

この息子さんは、逆上したわけですねえ。拳を握ってポンッと、相手のおじさんの眉間のところを軽く叩いたって言うんですけど、若いから軽く叩いたわけじゃないでしょうが、顔のこの中に入るところは急所なの。それが元になって、その日のうちに出直しをしてしまったわけ。相手は、同族のお家の大黒柱です。子どもさんたちもまだ皆小さい。

そういうことで、もちろんこれは警察へ連行されたわけでございますけれども、そのときに既に親の反対を押し切って、夫婦をこしらえて長男ができて、普通なら、ああめでたい、めでたいと言って、お祝いをせんならんところで、こういう問題を起こしたということですねえ。

 

そのおばさんが、私の母のところへ飛んでまいりまして、「えらいことになった!どうしたらいいんだ?」「ああ、それはもう会長さんにお願いするしかない。さあこれから名古屋のお教会へ行きましょう」ということで、母は、そのご婦人を連れて会長様のところに駆けつけたわけなの。「助けていただきたい、なんとかひとつ罪にならないで、無事おさめさせていただきたい」

そのときに会長様は、なんとおっしゃったかというと、「その事件を起こした親にも信仰がない」おっしゃるとおりですね、これから信仰する。この問題を助けていただきたいから、これから信仰いたします、お願いしますということでしょう。

「親にも信仰がない。もちろん事件を起こした本人にも信仰がない。しかし、僕の耳に入ったら大丈夫だよ」とおっしゃってくださった。

「今日のこのところは、中に入ってくれた遠藤ハルさんの誠真実を受けとって、助けてあげるよ」とおっしゃってくださったそうです。「何があっても大丈夫だから、決して僕は、こうしてお願いに来た者を、刑は受けさせないよ。無罪にしてあげるよ」とおっしゃってくださったんですね。

 

だんだんの中に、本当に会長様におっしゃっていただいたとおり、沼津の裁判所で、裁判が行われたわけでございますけれども、罪にならなかった。三年間の執行猶予ということで、保釈金を積んで出していただいた。

そして、使っていただいている社長さんのところへ「本当に申し訳ありませんでした」とご挨拶に行ったら、「そういう者でも、僕が使ってあげるから、僕のところで働きなさい」とおっしゃっていただいたの。普通ならねえ、使わない。

三年の執行猶予ということで出されてまいりました。法の上においては、そうして初代の会長様のお徳を頂戴して出されてまいりましたけれども、三年間に事故が無ければ、晴れて無罪となってきれいな体になるわけですが、とにかく相手は、小さいお子さんのあるお家の大黒柱が殺されたんですから、いくら法の上でそうなったって、知らん顔ということはできません。

そこで母が、とにかく人間として、会長様がこうおっしゃって罪にならなかったから、まあいいわというわけにはいかない。いわゆる農家でも、たくさんの田地田畑を持っているお家ですから、「あんたのところで田んぼを一枚売って、そしてそのお金は一円も身につけちゃいけないよ。売った田んぼは、これはやがて税金を取られるけれど、その税金の分は自腹を切りなさい。売った全額を、お金で済むわけではないけれども、いちおうの決まりとして、相手にお詫びのしるしとしてあげなさい」とそう言いました。

でも3〜4日経って、どうなっているかなあと思って行ったら、皆また寄っていて、埒が明かない。そうして、いちばん日陰であんまり米も採れんようなところを一反、田んぼ一枚は一枚だけれども、そういうところを売って相手に渡そうとしていた。「とんでもない!!!」と私の母が怒ったそうです。

「相手は、家の中でいちばん大事な人を亡くしているんです。あんたんとこは、そんな日も当たらない、ろくに米も採れんところを売ってどうするんだ。そんなことをしたらまた事件が起きてくるよ。あんたんとこで、ここはもういちばん良い田んぼだ、ここは絶対に手放せられないという田んぼを一枚売って、向こうにお詫びのしるしとしなさい!!」母の剣幕に、皆さん方、親戚の人もビックリしちゃったんですねえ。それで母の言われたとおり、いちばん良いところの田んぼを売って、申し訳なかったとしてお詫びをしたわけなんです。

 

これが、私の家に起きた事件から十年経ってのおたすけです。

初代の会長様は、「因縁があっても、因縁は何もこわくないよ。しっかり神様を重んじて、僕を尊敬して通っていったら、見る因縁は、聞く因縁、おたすけする因縁で、神様は連れて通ってくださるもんだよ」といつも教えていただきましたが、まさしくそのおっしゃったとおり、十年前にこうして私の家が、(遠藤家の事件を起こした)加害者の相手さんに対して、むしろ反対に申し訳なかったとお詫びをして、無罪にさせていただいたということが、十年経って今度は、この大嶋さんの事件のときに、会長様は見抜き見通しです。「親にも信仰がない、本人にももちろん信仰がないけれども、遠藤ハルさんの誠真実に対して、僕は、この問題は無罪にしてあげるよ」とおっしゃっていただいた。

十年前に、私の家が会長様の言うことを聞かないで、まあとんでもないといって、勝手にこの遠藤家に起きた事件を処理して、相手を罪にしていたら、十年経ったときには私の家に、こういう大嶋さんの事件のような問題が起きるところだったと思います。でも、おたすけ先に教えていただいて、おたすけする因縁で、見て聞いて、神様は連れて通ってくださったということでございます。

 

そうして本当にこの三年間に、無事に事件も無く終わりましたから、晴れて無罪としていただいて、きれいな体にさせていただくことができたんです。

それからまた十年経ちました。かいつまんでお話いたしますが、ですから私の家の事件からは二十年経ったんです。

二十年経ったときに、どういう事がここにわいてきたかというと、その(ご主人を亡くした被害者の)相手さんは、もちろん大事な人を持っていかれたんですから、お金なんかじゃ済まない。ああ主人が生きていたら、こうもなったろう、ああもなったろうという思いがあります。ですから当然、頂いて当たり前のお金でございますけれども、このお金を頂いた。頂いて十年経ったときに、電気工事のご用をしているお商売のお家でございますけれども、今度は息子さん。

亡くなられたお父さんの跡を、成人して取られた息子さんが、お客さんの会社の方で、「操業を中止するのはとても困るから、日曜日にやってください」と言って工事のお願いがあった。日曜日に工事をやったんですねえ。どういうことか分かりませんけれども、日曜日にやってくれと言うから、もちろんお客さんの言うとおりにしたわけなんです。

工場の電気の工事に入りまして、息子さんが先頭に立って工事をしたわけでございますけれども、どういう粗相であったか、高いところに上がって高圧線に触れて、もう落ちるときに既に感電死をして真っ逆さまに落ちてきたわけですね。もちろん命があるはずがございません。そこで即死をいたしました。

この間に、二十年という長い年月が経っておりますけれども、まさしく初代の会長様から教えていただいたことは、間違いのないことだということ。相手さんにも五分の理あり、こちらにも五分。五分五分の理なの。お道を聞かせていただいて、道のおさめ方をした者が勝利ということですね。

 

初代の会長様は、私の家の事件のあったときに、この遠藤家に、人さんに殺されなければならない因縁があることをお示しになり、この因縁を消す道を教えてくださいました。因縁を消す道っていったら、損をすることです。

遠藤家の事件を起こした加害者の方がお勤めをしていた会社の社長さんが、申し訳ない申し訳ないと言って、毎日のように母のところに見舞いに来てくださった。見舞いに来ていただいても、お花を持ってきたり何かをするんで、母は、「私は愛町分教会の信者で、会長様から、一円のお金も頂いてはいけない、相手からも、またそうしたお見舞いに来てくださる方からも、理の無いものは頂いてはいけないと教えていただいておりますので、実は、いろいろ頂いても、お金に換えてお供えをさせていただいている。もう家にもお金ございません。気の毒だと思われたら、なんにもお持ちにならないで来てください」母はそうした中から、この方におたすけをしたの。「お道はけっこうですよ。聞いてください」と。

私が後になって、はじめてこの社長さんにお会いしたときには、その会社が倒産をして、他の愛町の信者さんから、にをいがけをされていた。そういう方を使っておられたということは、神様はこの方にお道をつけたかった。母の口から言ったんだけど、そのときはけっこうに通ってみえたから聞けなかったわけ。十年経って聞いたときは会社が潰れちゃっていた。でも、その方がおっしゃいました。

「あなたのお母さんは、本当に世の中にこんな不思議な人がいるのかしらと思いましたよ。相手さんが悪いんじゃないんです。私の因縁が悪いんです。反対に因縁があるために、たまたまお付き合いの中にこういう事件を起こしたということは、本当に申し訳ないことですと言うて、まかり間違ったら即死をするところであったにもかかわらず、申し訳なかった申し訳なかったと言うて、私が持たせていただくお見舞いの品も、そういう形で御供えにされていた。ああ世の中に、こんな無欲の人がいたのかしらんと思ってね、私は不思議に思いましたよ」と言って、その社長さんから、私は聞かせていただいたことがございます。

 

今日は、こういうお話をさせていただきましたが、初代の会長様が、「お道を聞かせていただいて通らせてもらう者は、因縁を積んじゃいけないよ。今まで積んだ因縁を消すだけでも大変だ」これがまず第一。

二番目には、「人さんから因縁を貰っちゃいけないよ」

つまり一円のお金も頂かない。普通なら今の社会では、慰謝料をくださいというのが当たり前のことになっている。でもこれは、またそういう因縁がお金と一緒に戻ってくるんですから、社会の方はいずれとしても、お道の者は、よくよく思案をさせていただかなきゃならんことと思います。

三番目は、「相手に因縁を積ませない」

相手が勝手にこっちのことに対して思っている。それが因縁になったらしょうがないな。これはいけないそうです。事実、私はそうやってお詫びをさせていただいて、どんなお願いをしても、頭のないできものが治らなかった。それが、会長様のおさとしひとつで、ああそういうもんか、申し訳なかったとしてお詫びをさせていただいてご守護いただきました。

だから会長様のおっしゃることは、誠に間違いのない、本当の助かっていくお話だと思わせていただきます。

 

以上

 

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