天理教 愛町分教会

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母の身上から道一条の心が定まる(後編)

 

 

こうして私は、とるものもとりあえず、昭和二十二年七月十一日、教会へ帰らせていただきました。

そして、さっそく夕勤めの直後、今枝先生を通して、勝手をし母の身上から大変なご苦労を会長様におかけ申し上げたことをお詫びさせていただいたのでございます。

少し話が逸れますが、ここまでの道中を振り返ってみますと、神様のお急き込みがございました。

昭和二十年、私に縁談があるについて、会長様にお手紙でお伺いを申し上げたところ、一月三十日におさとしのお返事をいただきました。
「(前文は略)初子さんの結婚のことですが、このお話はよくお考えになっていただきたく思います」
会長様が「よく調べてごらん」とおっしゃり、首をかしげておられます。良いとか悪いとか申されませんが、「よく調べて」との一言に、私どもは深い意味を悟らせていただきました。宗教家としてお徳の高い会長様でございますから、決して強い言葉で「いけない」とは仰せられません。やさしく丸い言葉の中に私どもは言外の言を悟らせていただきます。
「結婚は慌てる必要のないものです。心すべきは徳相応の人が与えられるということでございます。しからば、良き伴侶を得るには、まず自分の徳を積むことでございます。同じ因縁の者が引き寄せられるのですから、悪因縁を切っておかぬことには将来その因縁が邪魔をしてせっかくの幸福を失う事情に出会います。どうぞしっかり信仰をなされて、お徳を積んでください。徳を積むということは、難しいことではございません。天理を知る事でございます。日常のお仕事の中にも、神への感謝を忘れなかったら、どんなことにも喜びを感じて勇めるわけであります。その喜び勇んだ中にこそ、誠があります。」


その後、結婚のお話があるごとに、直接会長様にお会いしてお伺いしても、お手紙と同じお言葉でございました。
そうこういたしておりますうちに、大野佐七先生がおたすけにこられまして、「これは会長様の尊いお言葉です」と申され、会長様からのお言葉をお話くださいました。
会長様は「この者(遠藤初子)は、私が悟らせていただくところによると、社会は断じて通れないよ。僕がこうと悟ったら、間違いはない。しかしながら、本人もまだ若い。嫌なら今すぐ教会へ入ってこなくてもいい。ただしこれから先、嫁に行って、子供の二人三人とできてから、主人に勝手をされて、持っていった嫁入り道具は全部質屋通い、それでも足りなくなって、人さんのご家庭に入って、御飯炊きをさせていただいて、家族を養っていかなければならんような気の毒な運命に落ちてから、主人と別れ、子供を連れて、教会へ入ってきても遅くはないよ。元来、教会というところは、子供を連れて入るところではないが、僕に徳があるから大丈夫だよ。そのかわりその時は、子供の分まで、二人分も三人分も一生懸命働かせていただくのだよ」と、仰せになられたそうでございます。

また会長様は、こんなお話をされる時もございました。
「お道は大切だからというて、世界中の人がみな道一方になってしまったら、社会が成り立っていかない。だから、そんな無理をいうているのではないよ。そこで社会を通りながら道をなさる方は、余った時間を、余った体を、余った事情(お金)を、勝手なところへ持っていって使うのは後に回して、まずもって神様の御用を先にさせていただくのだよ。なし崩しの道を、こつこつと、ぼつぼつと、飽きないように、腰をつかないように通らせていただくのだよ。それで助かってゆけば、結構じゃないか」
「しかしながら、神様から、道一筋を通らせていただくようにと“しるし”を付けていただいたなら、人間は誰でも待てしばしがないよ。『ねじても伏せても通す』とおっしゃるのだから、いさぎよく腹を決めて、道一筋を通らせていただくほうが、先が結構だよ」

こうして私は、道一筋を通らせていただかねばならない魂の因縁を教えていただきまして、おぼろげながらも理解をさせていただいて、修養科へと行かせていただいたのでございました。

 


さて、会長様に心からお詫びを申し上げまして、改めて、今日ただいまから入り込みの心定まりました、どうか末永くお連れ通りくださいますようにと、お願いをさせていただきました。
すると会長様は、誠に厳しいお顔をなさいまして、「担任(初代会長様のこと)は可愛いの情から許しても、神が許さん。お前さん、これからこの因縁をどうやって消してゆくえ」と、自分の耳を疑うようなきついお仕込みのお言葉をいただいたのです。
何分にも修養科を出たというばかりで、西も東もお道のことは皆目分からない状態でしたので、何やらこれから先、大変難しいことが待っているようだと、そんなふうに予測するくらいでした。


そうして、昭和二十二年八月十三日に、改めて神様に入込願いをさせていただきまして、愛町分教会の入込者の末席をけがすことになりました。

 


それから約半年ほど過ぎたある日のこと、会長様からお呼び出しをいただきました。
まだ当時は、見習いとして炊事場で働かせていただいており、私は恐る恐る会長様の前に出ました。
「お前さんが殺されているよ」
会長様がおっしゃったこのお言葉の意味が分からなく、キョトンとしている私に、会長様は新聞をお見せくださいました。


なるほど、たしかに私が殺されている。

 

新聞の三面記事に、名前も同じ、年も同じ、住んでおりました沼津に近い吉原というところで、買い出し中に男に首を絞められて殺されたという恐ろしい殺人事件が載せられておりました。
会長様は、「お前さんは、神様がよい時に呼んでくださって助かったのだよ。本当は、お前さんが殺されるところだったのだよ。そういう因縁があるとしたら、これからは誰のいうことを聞かなくてもよい。神様と僕のいうことを聞いて、しっかり腹をすえて通るのだよ。そうして通らないと、さあ困ったから会長様助けてくれといわれても、僕は助けられないよ。私は親だから、それでも何とかして助けてあげたいと思っても、神様が『関根さん、騙されてはいけませんよ』と言うて、両手を広げて通せんぼうされたら、私の思いがそっちに届かないで苦労するから、僕が助けたいと思ったらそのまんま僕の思いがそっちに通るような信仰は誰がするんだい。助けてもらいたいお前さんがするんだよ」と仰せくださいました。

なお、この時のことについては、もう一つのお話があるのですが、たまたま太田安先生(大野佐七先生のお姉様にあたる方です)が、この時、沼津方面の巡教をいただかれて、お出掛けになりました。
その時先生は、夜通しかかって作られた手織りの新しいワンピースを着てゆかれたそうです。
ところが、鈍行の東海道線に揺られて、やっと沼津駅に着き、ホームに降りましたところ、何となく右側の脇を見ると、脇のところがスーッと裂けていたそうでございます。
新しい服を着てきたのにどういうことだろうと、いったい神様は何を教えてくださっているのだろうと思いつつ、御免くださいと我が家の玄関に入りましたところ、ちょうど母のお友達があの新聞の記事をご覧になって、私と間違え心配して飛んできてくださっておりました。
皆さんは、「まあ、貴女はなんと運の悪い人よ。初子さんが教会へ入ってしまったということは聞いたけど、こんなところへ買い出しにでも来ていたの?」と言われましたが、母は「これは間違いです。初子は教会で元気に勤めております」とまず安心していただいたそうです。

 


先生は教会へ戻られ、この事件のお話を会長様に申し上げましたところ、会長様は、「同じ因縁だよ。太田家にも五分、遠藤家にも五分、五分五分の理。これから道をお互いが通らせていただくことによって、その理は変わってゆく」と仰せくださったそうでございます。

 

 


こうして私は入り込みさせていただくまでは社会という仮宿に置いていただき、神様は道を通させるために二十六歳で出直してゆく者を教会に入れてくださいまして、ない命を繋いで寿命を延ばしてくださいました。これからこの世に生を受けて生きた証をお道の上に一本ずつ築かせていただくことになります。

 


もうひとつ、ここに書き留めておきたいことがございます。
それは、入り込みをさせていただくに際し、形の上では定めさせていただいていても、腹の底では定めるにも定めきれないものがございましたが、会長様はそのことについても見抜き見通しでいらっしゃいました。

「お前さん一人をお教会へ入り込みをさせて、後々、家族を路頭に迷わせるような、僕はそんな徳のない教師ではないよ。神様と僕がたしかに引き受けたから、安心して教会へ入っておいで。命のないものが人間思案をしてどうするんだい。お前さん死んでしまったら、元も子もないじゃないか。生きてさえおれば、家族に会うこともできる。ああこうというて、親と相談することもできるじゃないか。」と仰せくださいました。

会長様のこのお言葉によって、神様と自分だけしか分からない心の底のもやもやもすっかり取れまして、はっきりと心が定まりまして、冒頭のとおり、昭和二十二年八月十三日、母とともに入り込み願いをさせていただく運びとなったのです。

こうしてここから、私には想像だにしなかったお仕込みの日々が始まってゆくのでございます。

 

 

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