天理教 愛町分教会

愛春布教所ホームページ

 

 ここは働くところではない

 

初代会長様は常々、「このお道は陽気ぐらしの世界だからというて、いつもウハハウハハと面白おかしく通れるものではない。神様は、真の苦しみをぬけて真の楽しみをと仰せくださっておられるように、好きなことをしてゆくのがお道でもなく、通りよいのがお道でもない。難儀の中に心を倒さず、くじけず、神様教祖(おやさま)をお目標(めどう)に一筋心になって通ってゆくのが真のお道であって、それを神様は真の苦しみぬけて真の楽しみをと仰せくださったのであります。誠に道の深い者ほど、自ら進んで道を通る苦しみを求めてゆくものです。なぜそうかといいますと、そうした道でなければ前生の家柄の因縁、また自らの因縁が切れてゆかず、徳をつませていただくことができないからです」と、仰せくださいました。
 
さて、思いを返すと誠に早いもので、ホームページを開設してから、ちょうど一年がまいりました。
初代会長様のお言葉につきましては、少しでも間違いがあってはならないと、間違ってしまっては会長様に申し訳ないと、一途に自分に言い聞かせてまいりました。
会長様は、「僕のお話は、右の耳から聞いたら左の耳へ聞き流してはいけないよ。それは聞きっぱなしという。話がなくなってしまう。そのまんま飲み込んで大切にしまっておくとね、年限が経って忘れたように思っても、必要に応じて神様が、それぞれあの時に聞かせておいただろう、あの話をもって通ればここは大丈夫だよと教えてくださるよ」とお教えくださいました。

今日まで通らせていただいた中に、会長様が教えてくださったことには、千に一つの違いもございません。また、新しい信者さんが、「忘れてはいけない!」という一生懸命の心から、急いでノートを出して、お言葉を書こうといたしますと、会長様は「書いてはいけないよ。僕の話は、書いたら理が消えてしまう」とおっしゃられ、書く事をとめられました。
ですから、このホームページに掲載しているお言葉やおさとしにつきましても、耳から繰り返し繰り返し聞かせていただいて、おなかの中にしっかりと納めさせていただいてきたお話でございます。それを改めて文字に著し、こうして全国世界の皆さまに読んでいただいているわけでございますが、書かせていただこうといたしますと、大変ありがたいことに、胸の奥深く納められていた珠玉のお言葉が、泉の水が湧くごとく湧き出てきて、あらためて初代会長様のお徳の深さを感じさせていただくのです。
 
さて、私も、入り込みをさせていただいてから半年ほど経った時、親奥様からお言葉をいただきまして、奥に上がらせていただいて、初代会長様の御身の回りの御用をさせていただくようになりました。
その時、初代会長様は、「奥は神床(かんどこ)と同じである。心して日々つとめさせていただくように」と仰せくださいましたが、私は、ではどうやって通らせていただいたら神床と同じつとめができるのであろうかと、まったく空をつかむような気持ちでした。とにかく言われたことは何でもハイハイとお受けをさせていただいて、てんつくてんつく自分の体を右へ左へと動かせていただく他にないなと思いました。

ある日のことでございます。初代会長様から、私はお仕込みを頂戴いたしました。
会長様は、「お前さんはいつになったら天理教をやるんだえ。こうしてお前さんたちを使っているが、僕は天理教をやらせていただいているよ。ここは、ただやればいい、すればいいというところではないよ。お前さんが、僕の御用を一生懸命つとめてくれていることは、僕も知っているよ。そのことはむしろ私は礼をいいたい。社会でお前さんくらい働いたら、使ってくださる御主人が、ずいぶんと喜んでくださるだろう。しかしながらここは、やればいい、すればいいとして働くところではない。僕は働き人(はたらきど)をおいてないよ。僕は、皆に御用をしていただいて徳をつんでいるよ。天理教をやらせていただいているよ」と仰せくださいました。
私は頭を下げてお言葉をいただく中に、会長様のお言葉ではございますが、私どもが、ねじり鉢巻きこそいたしませんが、たすきがけで尻っぱしょりをして、てんつくてんつく朝から晩まで働かせていただいているから、右のものも左に動いてゆくのではないかと思いました。
例えばまず朝は、五時に起きて自分の身仕度をすませると、炊事場の係のご婦人さんから、おこしてくださったお初の木炭と、沸かしてくださったお初のお湯をやかんにいただいてまいりまして、コンロに移し、お洗面の用意をさせていただきます。初代会長様は、六時にはお目覚めになられ、洗面においでくださいます。御用が終わられますと、私は後始末をさせていただくのですが、会長様は「お前さんは忙しいからね」とおっしゃって、洗面所の中を手早くタワシでお洗いになってくださったり、また時には、床の上に水がとんでおりますと、「後からきた人が知らずに踏むと気の毒だからね」とおっしゃられて、雑巾でさっと拭かれてるのでした。
ですが恥ずかしながら私は、忙しい日常の中で、「ここは働くところではない、神様教祖という理につとめるところである。私もちゃんと神様教祖という理につとめているよ」と仰せくださいましても、さっぱり分かりませんでした。
この先、どのように通らせていただいたら、会長様に喜んでいただけるおつとめができるのだろうと、まったく魂に徳がございませんから、そのお言葉に込められた理を悟ることが長い間できなかったのです。
しかしながら、悟れても悟れなくても、五尺の人間をそのままにして魂をころっと入れ換えるのがこのお道の信仰やと仰せくださいますように、私の人間作り替えは初代会長様によって、朝目が覚めて夜休ませていただく四六時中に始められたのでございます。
こうして、日々お連れ通りいただいてまいります中に、因縁の深い、徳のない者でも、初代会長様のお言葉を神様のお言葉としてお受けをさせていただいて、通らせていただいておりますと、少しずつ因縁も切れ、徳をつませていただいて、やがてお道の中に開眼をさせていただけるようになってゆくのです。
 
さて、今年も終わりに近付いてまいりました。この次のホームページの更新は、2008年の新たな年を迎えさせていただいてということになります。
新たな年を迎えさせていただくにあたり、皆様にお願いしたいことがございます。
初代会長様は、「現在、愛町には全国津々浦々に数万の信者さんがおられる」と仰せくださいました。どこの家々もほとんど初代は出直していて、信仰が二代、あるいは三代四代になっている家もあります。
特に、愛町の理につながる信者さんに申し上げたい。掛け声だけの初代会長様にあらず、一人でも多くの理の子供に聞いていただいて、天理天則に沿う道を社会の上に家庭の上に、また道の上に日々通ってもらいたいと、初代会長様の熱き思し召しをこのホームページの中から受け取っていただいて、これからのおたすけの上に使っていただきたいと切に望むのでございます。
よろしくお願いいたします。
 

 

 

 

愛春布教所ホームページ since2006.12.26 (C)All Copyright AIHARUFUKYOSHO

天理教愛町分教会愛春布教所 静岡県伊東市宇佐美1008−3