天理教 愛町分教会

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 その人間は生きている(後編)

 

あの日、あの夜、初代会長様の尊いおさとしのお言葉を聞かせていただき、若者の胸の奥から懺悔とともに溢れ出る慟哭の熱い涙は、とめどもなくいつまでも頬を濡らしておりました。

初代会長様は、その青年さんの「本当に申し訳ないことをしてしまった。僕は間違っておりました。神様、教祖、お許しください。お父さん、お母さん、大変な心配をかけてすみませんでした」と心の底から振り絞られた懺悔の言葉をお優しい眼差しで静かに見守られておりまして、そして「自分が本当に間違っていたということが分かって、これから心の向きを変えてお道を通らせていただこうという心がしっかり定まったら、それでいいんだよ。今からでも決して遅くはない。神様は教祖は必ずお前さんを助けてくださる。大丈夫だよ」というお言葉をかけてくださいました。

また重ねて、「お前さんはまだ若い。お道を聞かせていただいていると、これはやってはいけない、そんなことをしていると理がふくぞ!といろいろ注意をされて大変窮屈に思うだろう。若い時は二度とないとして自分が勝手をしたいためにお道を嫌う。もっともお道の好きな者は僕以外には一人もいないよ。皆嫌いだけれども、いかにも好きそうなふりをして教会へ運んでくるんだよ。しかしながら、お道を聞かせていただいて勝手ができないから皆助かっていることを、決して忘れてはいけないよ。何故かなれば、独り身の時は勝手をしても理はふかないが、やがて家庭を持たせていただいて、子供の二人三人できた時に因縁はふいてくるのだよ。だから私は、お前さんのことが心配でならないから、こうやってお話をさせていただいているのだよ」と仰せくださいました。
 
お話は変わりますが、初代会長様は毎日のように、「このお道の信仰は、親々の信仰が大切だよ。子供に信仰があっても親にないということはいけないね。子供が助かってゆかないのだよ。それでは子供が先々社会に出た時にかわいそうではないか。これからの社会は大変なことになっていくよ。人間が人間の姿をして通れなくなるのではないかと私は今から苦労しているのだよ。だから私は親さんの顔を見ると、頼むように拝むようにして神様のお話をさせていただいているのだよ。このお道は一言千編聞けと教えていただいているように、千編といえば、三年三月の中を毎日毎日毎日同じ事を聞かせていただいて、人間は初めて『なるほど』と真に納得をさせていただいてお腹の中におさまるものであって、それくらい皆、因縁が深いのだよ」と、仰せくださいました。

 

さて、お話をもとへ戻しますが、始めに初代会長様がおっしゃった「その家は大変な道の遅れをしているよ。長数年の間、けっこうな神様のお話を聞かせていただいて、何故人さんに『神様は』と一言のお取り次ぎすることをしなかったのだえ。その息子さんは私の耳に入ったらもう大丈夫だよ。生きているよ。この時間からもう本人が気がついているよ。できることなら、丈夫な体で早く家にかえしてあげたいね」というお言葉に、嘘、偽りはまったくございませんでした。

初代会長様が神殿からお退けになられた後、私は夜のふけるのも忘れて、廊下の片隅で、青年さんご本人から、海水浴場から突然と姿を消しこの愛町分教会に姿を現すまでの経緯を聞かせていただきましたが、話を伺う中でまず驚いたのは、初代会長様がおっしゃったお言葉に一分一厘の違いがなかったという事実でございます。

繰り返し申し上げますが、初代会長様は「その人間は生きているよ。僕の耳に入ったこの時間から、本人はもう気がついているよ。こんなことをしていてはいけないとね。できることなら丈夫な体で早く家に帰してあげたいね」と仰せくださっておりましたが、その青年さんが言われるには、海岸で皆が沖の方へ再び泳ぎに出た後、一人でおりましたところ、急に頭が割れるように痛くなりまして、それは辛抱できないほどの痛みであったそうですが、それから先は自分の頭の中が真っ白になってしまい、まったくどこでどうしていたか皆目分からない、ようやく自分を取り戻した時は名古屋駅前の『八事(やごと)行き』の市電の中に腰掛けていたそうです。

どうして自分はこのようなところにおるのだろう、この電車は愛町分教会へ参拝する時に乗る電車だ。――ああ、神様は僕にお教会へ行くようにということなんだなと、自分なりに理解をして、お教会へまいられたそうです。
教会ではちょうどこれから朝勤めが始まるところでして、間もなく初代会長様が神殿にお出ましくださり、朝勤めが始まりました。お勤めが終わりますと、初代会長様はお高座にお座りくださり、朝のお話をお始めくださるわけですが、その日のお話の初めにまずおっしゃったお言葉が「人間は勝手をしていると大変なことになるよ」というお言葉であったそうです。

自分が今勝手をしているのですから、その会長様のお言葉は胸に刃を突き刺されたような感覚だったそうです。青年さんは誠に恐ろしい気持ちになりまして、「そうだこんなことをしていてはいけない。早く家に帰らなくてはいけない、どんなことをしても帰らしてもらおう」と心に誓い、教会を後にされたそうでございます。
 
そんなことになっているとは夢にも思わない私どもでございましたから、その母親なるご婦人がお教会にお見えになった際にも、私が「その後はいかがでございますか?」と尋ねた質問に、ご婦人からは「いっこうに息子からは便りもなく、あるのは東京湾の水上警察署から溺死体があがったから見に来るようにという連絡だけで、毎日警察署にまいりますが、そこでは似ても似つかぬ御遺体を見せていただくだけでございます。家では親戚の者が、もう亡くなっているのだから致し方ない、いなくなった日を命日として、仏に祀ったらどうかという話もでてまいりました。お願いいたします、もう一度会長様におたずねをしてください」というたってのお願いをいただきました。同じ教会の信者さんでしたら、「理は一つ。何度お伺いしても変わらない。またもう一度お伺いするということは、初代会長様を大変軽くすることですからお取り次ぎはいたしません」と申し上げるところですが、他教会の信者さんでございましたので、やむなく再び初代会長様に理を頂戴いたしました。

初代会長様は、「お母さん、何度尋ねられても理は一つ。息子さんは生きていますよ。できることなら早く元気な体で早く家に帰してあげたいですね」と、また同じお言葉をくださいました。

初代会長様が生きているよと仰せられたお言葉に、千に一つの間違いはないのでございます。それを神様を軽くして初代会長様を疑うことはおそろしいことであり、例え今日まで生きていたとしても、再び命を持ってゆかれるか、生きていても便りのできないところにいるか、そんなことになっては大変でございます。
私は「はじめに初代会長様が教えてくださいましたように、一日に一度は『神様は』という言葉を口から出させていただき、おたすけの真似事をさせていただくことに、お母様の心配する心を向けてお通りください」とご婦人に申し上げ、お帰りいただいた次第でございます。

 

さてまたお話を、青年さんご本人のお話に戻しましょう。

 

青年さんは、心を定め、お教会を後にし、東京まで戻られましたが、中々家に帰る機会がないままで、しばらく東京のある運送会社に使っていただいていたそうでございます。

(当時は車の免許証があれば、どこでも黙って使ってくれた時代でした)

そうしたある日のこと、たまたま通りがかった明治神宮の外苑のところで、信号が赤になり車を停めて何気なく眺めた光景が、この青年さんに大きな転機を神様は与えてくださいました。

それは、隣組の運動会でしょうか、親子のにぎやかな笑い声を耳にした時、むしょうやたらと家が家族が恋しくなってきまして、矢も楯もたまらなくなって、近くの電話ボックスから電話をかけたそうでございます。

幸いなことに、電話に出られたのはお姉様であって、腰を抜かすくらいびっくりされておりましたが、「あなた、生きていたのね!そこはどこ!?今私が迎えにゆくから、そこから動かないでね!」と電話を切られて、迎えにゆかれまして、突然湘南海岸から姿を消してからまさに29日目に、初代会長様のおっしゃったとおり、その青年さんは元気な姿で家に帰ることができたのでございました。
 
私はかねてから青年さんのお母様に、「息子さんが帰ってこられたら、友達の家に泊りにいって二、三日が五日に延びたと思って、決して腹をたてて怒ってはいけませんよ。神様と初代会長様が家に帰ることのできない因縁の息子さんを帰してくださるのです。偶然と帰ってくるわけではありませんよ。このことはご主人にもくれぐれも申し伝えていただいて、心の準備をしてください」とお願いをしておきました。

息子さんは家族が温かく迎え入れてくれたことに、家柄の因縁と本人の前生因縁とは申せ、 二度と足を踏み入れることはないだろうと思って出た家に、皆々に迎え入れられて再び帰ってこれて本当に良かったと心から思えたそうでございます。

 

といいますのも、実は、このM家では、両親が頭を悩ます一つの困った問題を抱えていたのです。
それは、息子さんと父親との長数年にわたる確執の問題でございました。
次男は父親に合わせることの上手な青年であったので、息子さんは、工場の仕事は将来弟に継いでもらって、自分は長男ではあるけれども、家を出ようと日頃から思っていたそうです。

しかしながら初代会長様は、長男が親の後を継げないという何代も続いた家柄の因縁をも見事におさめてくださいまして、この事件後、親子の中も氷がとけるようにだんだんとおさまってまいりまして、やがて工場を長男に譲られ、次男は長男を助けていってくれることとなるなど、結構な順序をいただかれました。

 

そんなある日のこと、お母様がお訪ねになられ、「助けていただいた初代会長様にはこれから私たちはどのように御礼をさせていただいたらよろしいでしょうか」というご質問がございました。 

初代会長様は、他教会の信者さんを自分の信者さんになさることは大嫌いでございます。といいますのも、初代会長様は、「そんなことをしたら、そちらの会長さんが苦労されて気の毒ではないか。お話は僕の説いているようなお話はよそでは聞かれないから僕のところへ来て聞いてもいいが、神様に勤めることは、自分の教会にしっかり勤めなさい」といつもおっしゃっておられました。
ですから、御一家が初代会長様に助けられたからといって、愛町の信者にはなることはできません。私は「お母様がどうしてもと言われるのでございましたら、これから三年間、愛町分教会の月次祭にお運びになってください。そうして初代会長様の理をいただかれたらよろしゅうございましょう。」と申し上げました。
 

それから三年間、お母様はお教会にお運びになられ、そうした中、工場のほうも順調に業績を延ばしてゆかれまして、息子さんもやがて家庭を持たれて、ご長女が誕生されました。

そうしております中に、月日の経つのは早いもので、月参りの三年が終わりました。お母様は「長い間、ご丹精をいただきましてありがとうございました」と御礼を申され、お帰りになられました。
 

 

 

しかしながら、それ以降、私は、このご婦人のお顔をお教会で拝見することは生涯ございませんでした。

 

私にとりましては、何度もさせていただくことのできない大変なおたすけでございましたので、その後のことが心にかかりまして、電話を時々にかけさせていただきましたが、どういう神様の思惑か、お電話が繋がりませんでしたので、神様が『お前さんもういいよ』とおっしゃっておられるんだと自分なりの解釈をして、長い間心にかかりながらも通らせていただいておりました。
 

それから二十年も経ちましたでしょうか。

ある年のこと、ちょうど八月に入りまして、私はあるお宅の信徒祭に出させていただいた際、今日は何のお話をさせていただこうかと思いました時に、そうだ今日は川口市のMさんの助かったお話をさせていただこうと思いまして、他教会の信者さんではあるけれども愛町の理の子供と同じように初代会長様に助けていただいたお話をさせていただきました。
すると、そこになんとも不思議なことが起こったのです。
私のお話が終わりますと、一人のご婦人が、「先生、私は今お話をうかがっていて、ぞっといたしました」とおっしゃいました。
私は「まあ、それは申し訳ないことですね。でもどうしてですか?」と伺いますと、そのご婦人は、「実は、私は今お話をされたお家のお姉さんと高校時代同期の桜でございました。また、そのお母様と私の母は昔からの大の仲良しでございました」とお話くださいましたので、今度は私が頭から水をかけられたようにぞうっとしてしまいました。何度となく電話をかけても繋がらなかったM家のことについて知っている方に神様が会わせてくださったのですから驚かないほうがおかしいでしょう。

 

そのM家は、川口市において、鋳物工場を相当手広くやっておられたようで、また一族の本家であって三年間月参りをされたご婦人は御大家の大奥様であったわけでございます。
お話によりますと、「一時は大変工場の経営もよろしかったそうですが、風の便りに聞くところによると、その後、工場が出火して全焼していまい、会長様から助けていただいた息子さんは大変ひどい火傷をされ、それが原因となって経営も行き詰まっているように聞いておりますが、確かな情報ではありません。家に帰りましたら、実家にまいりまして、詳しいことを尋ねてお知らせいたします」とおっしゃってくださいました。
 

私はどうか良いお返事がいただけるようにと神様にお願いいたしておりましたが、そのご婦人から届いたお手紙の文面には、誠に悲しいことばかり書かれておりました。 

お母様はすでに出直しをされて、この世の方ではなく、また、火災が引き金となって工場は倒産をされてしまい、せっかく命をいただかれた息子さんも火傷がもとで出直しをされ、そのために一家はとうとう散り散りになってしまい、家族の消息は身内の方も分からないということでした。そして立派なお住まいは今、住む人もなく草ぼうぼうになっておりますということでございます。

私は夢にも思わなかった悲しい報告に、胸が締め付けられるような思いがいたしました。

結局のところMさんご一家は、事件後も『お参りだけの信仰』で、お道をお通りになられたのです。

助かったからいいとして、会長様が何度も繰り返しおっしゃったように、助かったお話を人さんにお移しされる『おたすけの信仰』をされることはございませんでした。

私は、何十年経ちました今日でも、目を閉じると、あの日、あの夜、初代会長様の前で懺悔の熱い涙を流した若者の姿が、その時のままの姿で浮かんでまいります。志半ばで身上をお返ししたことはさぞかし無念であったろうと思わせていただきます。

初代会長様は、私どもに、「皆を僕は助けられないよ。ただ、皆さんがどうしたら助かるということが分からないから、助かる道を説いているのだから、助かりたかったら、お話を聞いているだけじゃいけないよ。助かってゆく道を通らせてもらうのだよ。そうして助かったならば、その助かったお話をどこへでも持っていって、皆さんに聞いてもらうのだよ。そうさせていただくことによってお前さんが本当に助かってゆくのだ」と教えてくださいました。

Mさんのお家のことに限らず、私ももう 一度お道の原点に戻らせていただいて、初代会長様がおっしゃった「お道の者は、一日に一度は『神様は』という言葉を口から出させていただいて、人さんに聞いてもらうのだよ。今日は誰にもお話ができなかったと思ったなら、壁に向かってお話をしてもいい。また寝ている子供に向かってお話をさせていただいても、神様は十分に受け取ってくださるものだよ。また、このお道の信仰は、天理教の『天』という字を聞かしていただいたなら、一代命ある限りという信仰だよ」というお言葉を、命懸けで守らせていただこうと思う次第であります。 

このお言葉は、誰にでもできる簡単なことでありますが、毎日となりますとなかなかできにくい難しいことのようにも思えますが、初代会長様が助かる道を教えてくださったのですから、出来ても出来なくても通らせていただこうという努力が誠に大切のように思います。

会長様はこうもおっしゃいました。「神様は二度までは助けてくださるが、三度目は、聞いてくれねば是非もない、人間からこかす」と。

大変きついお言葉ではございますが、道を通らせていただく者として身が引き締まる思いでございます。

 

どうかM家の出直しをされた方々が、来世この世に生まれ変わってきたならば、今度こそ因縁に負けないで勝つ信仰を持ってお通りになれますように、おたすけに関わった者として、切に神様、教祖にお願いを申し上げる次第でございます。

  

 

 

 

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