困った事ほど助かる道(2

 

お手間をさせていただくことになりましたけれどね、それはそれは大変でございました。

全く今までの青年がおかれた環境と現在の環境とは、白いといえば黒いくらい違うわけですから、誠に本人も失礼でございますけれども、こんな大変なことなら、いっそ刑務所に入ったほうがいいと思ったこともあったと聞かせていただきます。

 

時折いざこざが若い者同士で起きると、私はいつも「遠藤さん、喧嘩が始まったよ!ちょっと来てちょうだいー!!」と呼びに来られました。私は、若いときは負けず嫌いで、元気がございましたから、「なにー!!」っていうわけで走って行って、その喧嘩の中に入って止めるということを、何回させていただいたか分からない。

また時には、こんなところにおれるかいというわけで、荷物をまとめて出ようとすると、お勤めにお出ましくださった会長様が、お帰りになるのをふっと向きを変えて、その青年の顔を眺めて、「ここを出ちゃいけないよ。僕と一緒に通ろうね。僕と一緒に道をやるんだよ」とこうおっしゃる。

私は何も申し上げるわけではないんですが、もう初代の会長様の理がちゃんとうつって、これから先のこともちゃんとお分かりになってらっしゃる。

せっかく母親が、会長様の理を信じて頼って来ている。なんとかしてたすけてあげたいという親心であったと思います。また、ああ会長さんにおっしゃっていただくと出れないなあといって、また荷物をほどいて、ひのきしんをさせてもらうという日々もございました。

 

そうして三年経ちましたときに、当時、車の免許を持っているという人間は、お教会にお若い方で二人しかいなかった。たいへんそういうことでお役に立つことができました。お教会でトラックをお買いになって、そのトラックの運転を仰せつかった。

あるところへ出かけさせていただくところで、ちょうど今池というところの信号のところで、赤信号で止まった。何気なくふっと下の方を見たら、その福井の裁判所の焼き討ち事件でお世話になった検事生の方が歩いていなさる。車を横に入れてご挨拶をしたら、向こうもビックリして、「今いったいどこにいるんだ?」

「こうこうこういうわけで、お教会においていただいている」

「ああそうか、それはもうたいへん良かったよ」と。

その方は出世をなさって、名古屋の高等裁判所の検事に昇進してなっておられた。

「僕がね、君がこの三年間通ったことを裁判所に克明に話をしておくからね」と言われたの。まだ本当に最終の裁判は終わっていない。もう一回せんならん。そういう不思議なこともありましてねえ。

最終の裁判のときはちょうどご本部の秋の大祭のときで、初代の会長様はご本部に行かれてお留守。そのときに最後の裁判という。

間は行かなくてもよかったけど、どうでもこれは本人が行かなきゃならんということで、出かけることになった。

会長様にご挨拶を申し上げたら、「しっかりこれからも道を通らせてもらうんだよ。教会においていただくんだよ。その心が定まったら、僕はお前さんを刑務所に入れないよ」とおっしゃった。

「大丈夫だから、安心して出かけなさい」とおっしゃってくださった。

本当におっしゃったとおりで、当日の裁判の申し渡しをいただくときには、他の方たちは五年とか六年とか、刑の執行を宣告されましたが、その青年だけは無罪となったんです。無罪。本当に、決まるのはたった7分か8分だった。

 

会長様とお約束してございますから、教会へ帰ってまいりまして、会長さんにお礼を申し上げたら、「これからも神様を信じて、僕を尊敬して、しっかり道を通らせてもらうんだよ。僕がもういいと言うときは、ご苦労さん、もう社会にお戻り。もういいよ、長い間ご苦労さんと言うまでは、ここにおいてもらうんだよ」とおっしゃっていただいた。

無罪になった。だから本当に私はね、このおたすけをさせていただく中にね、お道を聞いていただいた本人、またその親も、お道を聞いていただいたら必ず無償。指をつめられることもない、罰金を納めることもない、いちばん重い刑は命をもっていかれるということだそうですねえ。いちばん軽いのは指をつめることですけれども、そういうこともなく、晴れて、きれいな体にならせていただくことができた。

だからね、このお道の信仰があった。なんだって助からんことはひとつもございません。ただ、道を聞いたら神様を信じて、初代会長様を尊敬して、命のある限りという信仰をなさることが大切でございます。

神様は、‘口さきのついしょはかりハいらんもの しんの心にまことあるなら’(おふでさき三・39)と仰せいただいている。

お道では、心にもないお世辞ひとつ言うてもホコリだと、よく会長さんがおっしゃった。

 

その組に所在していたときは、四天王の一人と言われた人間です。四本柱の一人だった。ですから教会でひのきしんをしているときにも、兄さん株といいますかねえ、連れ戻しに来るというときもありました。

会長様にお願いしたら、「大丈夫だよ、ここへ呼びなさい」とおっしゃった。

でも本人が、普通の人間ではありませんから、信者さん方にご迷惑をかけたらいけないということで、指定された場所に一人で出かけて行きました。出かけて行くときに、「先生、朝になっても僕が帰らなかったら、殺されたと思ってください」と。まあ物騒な…ということですねえ。

そこで私はね、そのときに一時(いっとき)願いをさせていただきました。夜中の十二時までお願いをさせていただいた。

でも朝になってね、無傷で帰ってまいりました。

聞いてみると、どうしても戻ってくれと。お前がいなくなってから、組が元気がなくなった。多いときには二千人からの子分があったっていうんだから、大きな組ですけどねえ。戻ってきてくれというわけですねえ。

「僕はね、もう戻れないんだ。初代の会長様がいかんと言うことは、命に替えて守らなきゃならない。どうしてもお前たちが僕を戻したいというのなら、僕を殺したらいい」

殺されればもうどうしようもないね、言うなりになるしか仕方がない。

でも心の中でね、神さん会長さんお願いします。神さん会長さんお願いします。まあ私に教えられているから真似をしてお願いした。

そうしたら、しばらくして兄さん株の男がですね、「お前そこまで、その愛町という天理教の会長さんにほれ込んだのか。もういい、もういい」と言われてね。兄弟分の盃を返して、割って、「これでもう繋がりは切れた、赤の他人だ」

お話は遅れましたけれども、拘置所を出て、教会に長期ひのきしんとしておいていただくときに、親分さんが盃を割って、もう親分子分でもない、赤の他人と言って返してくれたの。けどまだ兄弟分の盃は返してない。難しいんですねえ、ああいう世界って…。それがそういうことで、連れ戻しに来た。

私は一生懸命、会長さんに申し上げて、神様にお願いしておったら、「そうかい、お前そこまで愛町分教会の会長さんにほれ込んだか、もういい。盃割ってもうこれで赤の他人、道で会っても挨拶はいらん」こう言ってね、返してくれた。繋がりを解いてくれた。

聞いてみると、いったん暴力団に入ったら逃げられない。世界のどこいっても、網の目のように張っているそうですから逃げられない。

それが、神様と初代の会長様のお力で、こういうかたちできれいに、指も取ることない、罰金を納めることもない、命を持っていかれることもなく無傷で、きれいにならせていただいた。刑務所へ入るところも無罪となった。その代わり、そのとき三年間ふせ込ませていただいたね。

 

それからまた合わせて十年ですね、十年間長期ひのきしんとして、ご普請の間、手銭(てせん)手弁当ということは、小遣いを持って食費代を持って、手銭手弁当でひのきしんを勤めさせてもらいました。

家が金持ちかというと、金持ちじゃないですよ。とにかく、その組にお金や物をつぎ込んだんですから、息子が。お家が、ひっぱたいたような家に住んでいた。なんにも無い。

そういう中に神様をお鎮めさせていただいて、工面して、親兄弟が代わりあって代わりあって十年間、毎月教会の祭典の前後、勤めさせてもらった。お世話になっておりますからねえ。

 

十年経って社会に出させてもらった。

学校だって出ちゃいない。高校だって無事に卒業していない。それでも、無理に校長先生を脅かして免状貰っている、そういう人間なの。

そういう人間が社会に出ましたがねえ、でも、ただのものひとつもないんですねえ。                        

 

(2)以上

 

 

※恐れ入りますが、お話の転載を一切禁止いたします(YouTube含む)

※本文中に、適切ではない言葉を使用している場合がございますが、お言葉等の意味合いが変わってしまうため、そのまま掲載をさせていただいております。何とぞご了承ください。