困った事ほど助かる道(3

 

 させていただいたおたすけは、今思いますと、本当に私の若いときの命がけのおたすけでございました。

そのおたすけの中に、今も忘れることのできない、二つの出来事がございます。

その一つは、長期ひのきしんとしてお勤めをさせていただいて、普請の半ばにかかった頃でございました。

ついに本人に細かいことを聞くことはございませんでしたが、とにもかくにも日数が足りないということで、裁判の結果、無罪というたいへん素晴らしいご守護をいただきましたけれども、その後に、裁判所からお知らせをいただきまして、その期間というのは四十日ぐらいのことでございましたけれども、とにかく刑務所に収監をされて、服役をしなければならないということになりました。

裁判所も便宜をはかってくださったというのか、教会が名古屋で、名古屋に近い刑務所というと、愛知刑務所というのがお教会から徒歩で2030分のところに当時はございました。近いところが良かろうということで、愛知刑務所に収監をされまして、服役をすることになったのでございます。

 

本人といたしましては、自分の通ってきた道は、確かに刑務所に入らなければならないようなことをたくさんやってきた。今更逃げようという気持ちもない。慎んで罪に服していくつもりではあるけれども、もう僕も恥ずかしいと。長い年月のひのきしんの中に、大勢の方と交流ができているわけでございますから、恥ずかしいと。「もう刑務所から帰ったら、もう教会にはこない。教会にくることはやめます」と、こんなふうに私に言われたのでございます。

本人の気持ちとしては、無理からぬこととは思いますけれども、私は初代の会長様にどうしたものかと、教会へこないということは、お道をやめるということです。お道を聞かせていただいて、今日まで、できてもできなくっても通らせていただいたから、今日までの数々のご守護をいただいている。それは本人も分かっていることでございましょうけれども、この出来事から道をやめては、これから先が助かっていかない。

会長様に申し上げてお願いをいたしましたところ、会長様は、「なんにも心配はいらんよ。ここから教会から行きなさい」とおっしゃったんですねえ。「そして、帰ってきたら、家に帰っちゃいけないよ。刑務所から教会に戻ってきなさい。そうして、僕と一緒にこれからも道を通らせてもらおうじゃないか。なんにも恥ずかしいことはないよ。僕は待ってるよ」と、こういう本当にありがたいお言葉を頂戴いたしまして、本人に伝えさせていただきました。

会長様のお言葉には、本人も、できてもできなくっても、長いひのきしんの中に、通れても通れなくってもお受けをさせていただいて、通らせてもらうということは覚悟いたして今日までまいったわけでございますから、この会長様の一言で、心を定めさせていただきました。

一緒にひのきしんしているお連れの方々が、「刑務所の門まで、僕ら送って行ってあげるよ」こう言うてくれたのでございますけれども、「いやそれは皆さんにご迷惑なことだから、僕は一人で行きます。大丈夫ですよ」

私は出かける前に、神様に、無事にお務めを終わって、必ず会長様におっしゃっていただいたように、この教会に戻ってくる心が揺るがないように、定めたとおり、恥ずかしかろうが、なんだろうが、戻ってくるということを定めてもらって、そして神様にお願いをいたしまして、出かけて行ってもらったわけでございます。

 

ところが今思いますと、獄舎の中にも、親神様・教祖(おやさま)・初代の会長様のお徳がいただけたということなの。

刑務所だからもらえんというものじゃない。やっぱり、できてもできなくても、今日までお道を通らせていただいたということは、タダではございませんでした。

いろいろ不思議なことがあったそうでございますけれども、本人が無事にお務めを終えまして、戻ってまいりましてのお話に、寒いときでございました。名古屋はたいへん寒いところです。寒いものですから、当時は仕事を与えられなかった。どういうことですかねえ、入っても、ずーっと出るまで仕事を与えられなかった。ただ正座。朝目が覚めて、休ませていただくまで、正座。簡単に思いますけれども、これもそんな長時間にわたって毎日毎日ということは、たいへん苦痛なことであったと思います。

ある日のこと、あまり寒くって、もう辛くて辛くて仕方がない。いけないと思いつつ、地べたに座って、まあ板の間に座っての正座ですねえ。いけないと知りつつ、寒さにもとうとう辛抱ができなくなってしまったそうです。布団というても、本当にお粗末なものであったそうで、その薄掛けの布団を、座布団のように小さく分からないように畳んで、それを敷いて正座をしておりました。

一時間おきぐらいに、監守が見回りに来るわけです。

そのときまいりましたのは、監守ではなく、だんだん認められると監守の代わりをするんですねえ、見回りの人間が回ってまいりまして、それを見つけたわけなんです。

「この!!こいつ!!!」ってわけで、何をやってるんだということで、「待ってろ!いま水を持ってきて、ぶっかけてやるから!!」ということで、その男の方が二つのバケツに水いっぱい入れて、中まで入って来て、まさに水をかけられるところだった。

本人は心の中で、「神様、会長様申し訳ございません」「神様、会長様」と、しきりと心の中で会長様のお名前を呼んでいたそうです。しかし、いつまでたっても水がかかってこない。おかしいなあと思ってふっと目を開けたら、その相手の男さんがそこに土下座して、「兄さん、すみませんでした!許してください!!」って言って、土下座してお詫びしているんだそうです。

へえー?ってビックリして、その人間の顔を見たら、自分と同じ組の兄貴株の方の子分だったという。何か事件を起こしたんでしょうね、半年くらい前に、この愛知刑務所に送られてきたっていうの。

その男さんがね、カエルのようにへいつくばって、「兄さん、申し訳ございませんでした!知らないといいながら許してください!!」と言って、バケツを置いて、カエルのようにへいつくばってお詫びをしている。

 

ということで、思わぬところで思わぬ人間に会うことができまして、水をかけられることもなく、その後は刑務所を出所するまで、なにくれとなく、影となり日向になりしてかばってくれて、もうたいへんそれからは楽といってはおかしいんですけれども、そう辛い思いをせんと、そこを服役することができました。こう言って、帰って来てからお話をしてくれました。

ああなるほどなあ、初代の会長様のお徳というのは、そういう中にも入り込んで、もちろん本人はですね、どんな恥ずかしい思いをしても、人になんと言われようと、かんと言われようと、ようまあ刑務所から出て来てあんな顔してひのきしんやっとるなあと、中にはそういう人もあるでしょう。そう言われても、それは自分が言われるような悪いことをしてきたんだから当たり前のこと、こうやって人さんに言われて、間違っていたことの通り返しをさせていただくんだ、そういう思いでね、会長様のお言葉、一言のお言葉によって、またお教会に寄せていただいて、それからもご普請が終わるまで勤めさせていただいたわけでございます。

ですから私は、今まさに監守が見つけたら、それはどうなっていたか分からない。それが、回って来た人間が、そういう昔かかり合いのあった人間を、神様が半年前に愛知刑務所に入れた。そして、だんだん一生懸命務めて模範になっていた。だから監守の代わりを時に務めた。そのときに、そんなかたちでバッタリ会うことができた。辛い中にも、神様・会長様のご守護をいただいて、なんとか無事に務めさせていただくことができました。

こういうお話を私は聞かせていただいて、この道の尊さという、何があるからもう道はやめた、ああ一服だ、よく人さんのやることでございますけれども、初代の会長様は、「なにがあっても、かにがあっても、天理教の天という字を聞かせていただいたら、一代命のある限りという信仰だよ。ああそんなことがあっちゃあいけないけれども、僕はね」とおっしゃった。「僕はね、世界に天変地変が起きて、世界中の人が亡くなっても、僕一人残ったら、僕はそれでも天理教をさせてもらうよ」とおっしゃった。

ですから私たちは、そうやって教えていただいたことの万分の一の真似事でございますけれども、会長様の真似をさせていただくだけで、日々通らせていただく中に、不思議、不思議の理を頂戴することができるのでございます。

 

(3)以上

 

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