定めて、成る(1)

 

 よく初代の会長様が、私どもに聞かせていただいたお話の中に、「成ってから定めるのやないで、定めて成るのやで」というお話がございます。

つまり世界とお道は裏腹でございます。世界の方は、順序をいただいたから、それじゃあこうしようか、ああしようかと、事に乗っていくわけでございますが、お道は反対でございます。なんにも順序のつかない中に、親の声をいただいて、できてもできなくても、それをお受けをさせていただいて通らせてもらう。このように私たちは、初代の会長様から教えていただきました。

お仕込みをいただくと、当時はその‘お仕込み’という言葉が、朝から晩まで入り込み者の耳の中には流れていた。今これ寒中です。梅は寒夜に花を開くんだそうです。身をつんざくような夜寒い中に花を開くそうですねえ。その寒夜に開く梅の花と同じでした。毎日がお仕込みに明けて、お仕込みに暮れるという時代でございました。でもそれは、つらいとか苦しいとか悲しいとか、そういう人間の気分は誰も持っていなかった。「出ていけー!!!そんな誠真実のない者は教会におくわけにいかん、出ていけー!!!」とお仕込みをいただいても、どうか私はお道をさせていただきたいんです、どうか軒の端にでもおいていただきたい、負けるもんかあ!という不退転の心です。後ろへ下がれない、前に向かって進むしかない。負けるもんかあ!ああこうやってお仕込みをいただいて、恐ろしい家柄の因縁、自分の前生因縁をひとつ消させてもらいたい、ありがたいなあと思うように努力をさせていただきました。

また、お仕込みをいただくと皆さんが寄ってきて、「良かったねえ、あなたはもう出ていけー!!!と言われたって、出ていくもんかあ、会長様と一緒にお道をやらせていただきますと心が定まったから、神様が、初代会長様のお口を通して、出ていけー!!!というお仕込みになった。良かったねえ」と言って皆さんも、こうやって褒めてくださって勇めてくださった。社会のように、「またあの人、お仕込みいただいてまあ…」なんていうことを言う人は一人もいない。「良かったねえ」とこういうふうでしたよ。

 

そうして、ある日のこと、初代の会長様が、昔のお話を私にしてくださった。『成ってからではない、成らんうちに定めて成る』ということをね。

そのひとつの例えとして、「僕はねえ、いよいよ今日から道一方になる。そして、だるま横丁を入った九尺二間の長屋住まいに、麹町大教会の親会長様ご夫妻が道一方になられた。そこへ入れていただくことになった。なんにも持つもの無い。そこでお道をやらせていただくことになった」

だけどそこは九尺二間、神殿と親会長様ご夫妻のお部屋だけで、他に部屋無い。寝巻だけ持って出たら、家族の身内の者に袖までひったくられて。それはまあ憎しみからじゃないですねえ、こうもしたら断念をしてくれるだろうかということですけれども、その当時はもう本当に、お道をやるよふぼくの方っていうのは乞食より酷かったという。

兵隊さんの残した残飯を貰ってきて、グツグツ煮直してお雑炊にして頂くとか、焼き芋屋さんで頭としっぽを落とした芋の端切れを買ってきてグツグツ煮て、お腹の飢えをしのいだ。そうして止むに止まれない心から人助けをされたという、そういう時代なんです。

だからそれは、まあ身内の者が止めるのは当たり前ですね。寝巻まで取られちゃって、「それでもやるのか?阿呆や」と言って止めても、「阿呆だから天理教やるんですよ」ということで、後もう家族の人は何も言えない。

それで今、豊ちゃんが家から出されてくるといって、お話を聞いていた三人のご婦人が、一人の方は、「じゃあ、うちの粗末だけど離れが一軒空いているから、そこを私は使ってもらう」と。そして、もう一人の方が「ひと月のお米(一升か二升か知りませんが)それを私は持たせてもらう」もう一人の方は、おたすけに歩くにはタダでは歩けませんよねえ、足代のお金がかかる、「その足代を持たせていただきます」とこう言うて、三人のご婦人が待っていてくれたっていうの。

会長様が「お前さん、これが天理教だよ」って私に教えてくださいました。私はそのときは分からなかった。ああそういうのが天理教か、そういうふうになるのかいなあと、そのときはね、聞かせていただきました。

お家の方が、「お前、寝るところ一体どうするんだい?」と言ったら、「まあ人さんの軒端に、夜は誰もいないんだから、雨宿りしても文句は言われないだろう」と。「食べることはどうするんだい?」「ゴミ溜めあさったって、飢えはしのげる」こう言われて、「もうほんまにお前は阿呆や」と言って出されたということなの。

「私がこれから追い出されてくるから、あんたひとつ部屋を頼むよ、あんたはひとつ布教費を頼むよ、あんたはお米頼むよって頼んだわけじゃないけど、どっからか聞いて、今、豊ちゃんが追い出されてくる、三人で持たせていただこうと言って、その日から僕は、住む家、食べる物、小遣いに不自由しなかったよ。これが天理教だよ」とおっしゃったんですねえ。

ああなるほど、そういうもんかなあ、まだ自分は通っておりませんから分からない。会長様から聞かせていただいたお話を、そういうもんかなあ、いずれ私たちもこれから通っていく先々に、その会長様のご苦労の万分の一の道を、通させてもらう日があるんだろうなあぐらいに思ってね、聞かせていただいておりました。

 

お話は変わりますけれども、私は26歳のときに教会に入れていただきましたが、その入り込みを定めるときに、一つだけ私は心に思い余ることがございました。

それは、当時は私が働き頭でございましたので、教会へ入るのは私はいいけれども、後に残った母や妹たちは、明日からどうやって暮らしていくんだろう、どういうふうに生活をしていくのかと思うと、それが胸につかえて、定める中に定められない気持ちでございました。

すると初代の会長様は、それは見抜き見通されて、大野先生を通して、「お前さん一人を教会に入り込みをさせて、後々、家族の者を路頭に迷わせるような、僕はねえ、そんな徳のない教師じゃないよ。安心して教会に入っておいで」という、もうこのひと言の会長様のお言葉で、「決めた!もう迷うことはない」こうして私は、教会に入れていただいたわけでございます。

それから三年ほど経ちまして、私の妹の武子が、重い身上をいただくことになりました。もうどんどん病気は悪化していった。ですけれども、お医者さんの薬をいただいたり、注射をされると、もう七転八倒に苦しむんだそうです。ですからもう薬いらない、注射いらない、お医者さんいい。母のおさづけと、神様のお下がりのお水。神様のお下がりのお水というても、石油箱に白い布(きれ)をかけまして、そこに小さなお三方に、お水玉がのっている神様です。そのお水と母のおさづけ、また、最寄りにおられる信者さん方のおさづけをいただくことになる。でもだんだんだんだん病気は悪化してまいりました。

私は一度も家に帰っておりません。会長様が、お前なあ、ちょっと帰って見舞っておやりとおっしゃらないもの、会長様お願いしますということは、口が横に裂けてもお願いできません。申し上げられない。その当時の入り込み者は皆、親が死んでも家には帰りませんという、こういう心定めのもとに教会に入れていただいた。だから人伝に聞かせていただくお話で、おたすけに行ってくださった方から聞かせていただくお話です。

腎臓の重病でございますから、いわゆるポンプが壊れちゃっているから、お水を汲み出してもお水が出てこないのと同じで、身体全体にお水が充満したんですから、おたすけに行かれた先生のお話では、髪の毛なんてもう一本も無い。熱でみんな抜けちゃう。顔の頬に指を押し込むと、もう人差し指の半分以上がズブーッと入ってしまうくらい水ぶくれで、こうやってやぶれてく。身体中がやぶれる。ズワズワズワズワ水が出てくる。

頂けるものは、氷のぶっかけしか入らなくなった。それでも胃に溜まってくると、ブワーッと、ちょうど鯨が潮を噴くように、ブワーッと噴き出すんだそうです。顔や手もこんなにパンパンに膨れ上がっているでしょう。そして、このまぶたがですよ、上まぶたがこのくらい(握り拳一つ分ほど)に膨らんで、ぶらーんと下がってくる。「武子や」って言うと、こうやって(ぶら下がったまぶたを上に持ち上げて)開けなきゃ目が見えない。そのうちに、「お母さん、なんだかもう目が見えなくなってきた」と言われたときには、母も、会長様は必ず助けてあげるとおっしゃってくださった。

「遠藤の母親が、煎餅下駄履いてボロを着て、あの沼津の土地で、天理教聞いてください、愛町分教会のお話を聞いてください。関根豊松会長様は、死んだ者でも生き返るというて、生き返らせてくださる不思議な力を持った方です。聞いてくださいと言うて、沼津の町を、おにをいがけ、おたすけをしてくれている。その誠真実に対して、僕は、この子はもう既に命のない者であるけれども、この子を断じて殺すことはできない。私の七十年の信仰に免じて助けてもらいたい。神様にお願いをしているんだよ。だからお前さんたちも、断じてああもうダメだ、もう助からないということは、心の中に微塵も思ってはいけないよ」と仰せくださいました。これはね皆さん、とても難しいことなんです。ふっと心に、ああおっしゃるけど大丈夫かなあという心がわいて、ああ思っちゃいけない…思っちゃいけない…。私は会長様の御用をさせていただく中に、心の中で常にみかぐらうたを唱えながら御用をさせていただきました。

 

(1)  以上

 

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