定めて、成る(3

 

 「これだけの重体の病人を助けあげることは難しかろう。即刻帰ってこい」という、おじからのハガキでございました。

 

会長様は、「蛇でもそうだろう」とおっしゃった。

「いっぺんに大きな蟒蛇(うわばみ)にはならないんだ。殻を何度も何度も脱ぎ変えて、大きな蟒蛇(うわばみ)になる。七転八起、お道もそうだよ。天に向かう道しかあいていないんだ。どっこもあいてない。さあこれから僕のそばにおいていただいて一緒にお道を通らせてもらうのか、ああこんな天理教こんなことになるとは思わなかったもうやめたとお道をやめるか、二つに一つの道しかない。一体どっちを取るんだい?そのうえに、嫌ならお道をやめてもいいんだよ」と会長様はおっしゃいました。

「けれども、親子してこうして一生懸命お道を通らせてもらって、通らなきゃ助かっていかない因縁の者・因縁の家柄が、ここでやめても、また三年・五年経って、助けてもらわなければならないことが必ず起きてくる。そのときに助けてくれと言ってこの門をくぐって来ても、僕は、お前さんたちを助けてあげることはできないよ。助からない天理教をお前さんたちは泣き泣き一代命のある限り、それでも道はやめられない。さあ、泣き泣き助からない天理教を一代やらせてもらうのか、ここで腹を決めて、会長さんのおっしゃるところに行かせていただきますと言って腹を決めるか、どっちか」

私は、「会長様、親子ともに未熟な者ですから、会長様についてまいります。どうかお願いを致します」と申し上げた。そうしましたら会長様が、「そうか、分かればいい。お母さんがひのきしんをしているから呼んできて、これから神殿へ行ってもう一度定めたことをしっかり神様に申し上げて、改めて定め直せ」とおっしゃってくださいました。

母を呼びまして、「お母さん、こうこうこういうわけで、定めたことをもういっぺん神様に申し上げて定め直せとおっしゃるんですから、お願いをさせてもらいましょう。お詫びとお願いとお定めをさせてもらいましょう」

それで母は改めて、「それでも私の誠真実が足りなくって、この子を殺すようなことがあっても、私は命に替えて、定めただけは教会においていただきます。亡骸は押し入れに入れて、帰ってから弔いを出させていただきます」

こうして、お詫びと改めてお定めをさせていただいたのでございます。

もう家はひっくり返るようになった。隣組は「まあなんという親や!鬼だねえ!」と言っている。親戚も、もう呆れてしまっている。妹は苦しいからこうやって寝ているだけです。面倒をみている、のちに東京へ嫁に行った妹は、もうなんともやるせない中を頑張って通ってくれました。

こうして母は、三月(みつき)のひのきしんを終えまして、鳥倉先生のお父さんが来たので、「どうでしょう?いかがでしょう?」とお伺いしましたら、「悪いけどねえ、良くも悪くもならない」とこう言われたの。「武ちゃんはねえ、悪いけど、良くもならなきゃ、かといって悪くもならない」と。ああ、良くもならないけれども、悪くならないのも、神様の御守護だと私たちは思いました。

こうして終えて帰らせていただきますときに、皆さんもご存じで、「ああご苦労さんだったねえ、遠藤さん」と言ってくださった。尾崎先生という方から、「遠藤さん、ちょっとここへいらっしゃい」「何でしょう?」と。「今度帰ったらねえ、つるりっときれいになんなさいや」と言われたの。

「先生、つるりっときれいってどういうことをするんですか?」「裸(裸一貫)になること。裸になって、たとえ釘の一本なり、畳の縁一枚なり、このご普請に徳を積ませていただくんですよ」と教えてくださった。「ありがとうございます。きっとそうさせていただきます」とこう申し上げて、母は丁寧ですから、行き詰まりのずっと奥の方に、今の石橋先生とか永井先生たちのご家族のお部屋がある。ちょうど会長様の裏の御門とぶつかる。そこに、地べたに座りまして、「会長様、ありがとうございました。これで遠藤は帰らせていただきます」と頭を下げたときに、母の胸をスッと横切ったものがあった。

それは、今、先生に言われたこと。裸になることは、なんにも私は恐ろしいことも何もない。けれども、父が残してくれた古美術のお道具を売っては教会の旅費・お供えにしていた物、そういう物がだんだん無くなってきているわけですけれども、みんな始末をしてしまったらこれから一体どうやって毎月の祭典に教会に運ばせてもらったらいいんだろうなと、フッと思ったと言います。

そしたら、何やらそこに人の気配を感じて、座っていながらフッとこうやって頭を上げたら、そこに初代の会長様が裏木戸を開けてお立ちになっていた。

「遠藤、もう帰るかい」「ああ!会長様!」母はそんな間近で、会長様からお声をかけてもらったことはございません。

「ああ会長様、これで帰らせていただきます」と申し上げたら、「ちょっと中にお入り、そこは人が見咎めるから中へお入り」と言って入れてくださって、「これから僕の言うことをしっかり聞きなさい」とおっしゃった。

何かと思ったら会長様が、「僕が許すから、しばらくの間、教会に運ばなくてもいいよ」とおっしゃった。

母は、今それを心配していた。それをもう、ちゃんと会長室にお座りいただいていた会長様の理にうつって、まず第一におっしゃったことは、「僕が許すから、しばらくの間、教会に運ばなくてもいいよ。この道は、一人(いちにん)助けて、万人助かりの道や」とおっしゃった。

「一人(いちにん)助けて、万人助かりの道や。これからはしばらくの間、子どものそばにおいていただいて、しっかり子どもを助けあげなさい」と。

「ああ会長様、そんなことをして教会へ来ないで、因縁になりませんか?」「僕が許すんだから、因縁にはならないよ。大丈夫だよ。心配はいらないよ」と会長様がおっしゃってくださったので、「ありがとうございました」と言って、母はお暇をさせていただいた。

 

けれども母は、会長様がお許しくださったからというて、子どものそばにおって、子どもの看病をしていたわけではございません。

妹が私に言いました。苦しくなってくる、苦しくなってくると、「お母さん、おたすけに行ってえ。おたすけに行ってえ」と言うんだそうです。母も、「ああそうか、じゃあ行ってくるよ。大丈夫かい?」と言うけれども、身動きができないんですよ、病人は。頭のところへオマルを置いて、「じゃあ行ってくるよ!」と言っても、母は子煩悩な人でしたから、玄関まで行っても心配でまた戻って、「大丈夫かい?」と様子を見に戻る。また玄関に行っては戻ってと、23度そういうことをして「じゃあ行ってくるよ!」と言って、母が玄関を開けて外へ出た途端に、妹は楽になったと言います。

そして、一時間、二時間経って母が帰ってくるまで、妹は、ああお通じがある、ああどうしようこうしようとそういうことの困ることはなんにもなかったという。不思議なものですねえ、神様のおはたらきというのは。

そうして母は、祭典に行かなくてもいいとおっしゃったけど、ではどうしたら、行かせてもらいたいが行かれないというこの心を神様に受けとっていただけるだろうといろいろ考えた末に、そうだ!電報を打たせていただこう。お祭典を祝すという祝電を打たせていただこうと。

そうして母は、一年有半の間ですが、毎月、‘祭典を祝す。沼津・遠藤ハル’という祝電をお教会に打たせていただいた。現在の祝電の始まりは、私の母が、会長様のお許しをいただいても、なおかつ止むに止まれない気持ちから打たせていただいたのが始まりでございます。遠方の方は都合が悪いと、ああやって打ってこられるから、ああやって打ったらいいなあといって、皆さんが真似をされて祝電を打たれるようになったの。

こうして私の妹は、出直しをするような運命の者が、生かさせていただくことになった。それが27歳のときですが、84歳の長寿を全うして生涯を終えました。現会長様からも、愛春布教所の礎となって、陰のはたらきをされてご苦労様でございました。これからは、安心しておやすみくださいという、尊いお別れのお言葉を頂戴いたしました。

ああ神様は、こうしました、ああしましたと言わなくても、ちゃんと見抜き見通しで、現会長様から、そういう立派な労いのお言葉を最期に頂戴をいたしました。

 

‘成ってから定めるのやないで、定めてこの道は成るのやで’

教えてくださいましたこのお言葉に添って、ひとコマの道中の中のお話を皆さんに聞いていただきました。

妹の助かったお話は、また月を追うてお話をしてまいります。ありがとうございました。

 

(3)以上

 

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