粗相(そそう)するのには7つの嘘がある
ある日のこと、信者さんに、大変困ったことができたんだそうです。
そこで、その信者さんは、今日はお教会の朝勤めにうかがって、誰かれの先生に理をいただこうと思って、お教会の朝勤めにお参拝をなさった。
初代の会長様は、朝のお話をお勤めになられまして、
「では、僕は奥へ引けるよ。みんな用はないかえ」とおっしゃってですね、
奥にお引けになられるときに、神殿の真ん中をお通りになる。
すると、信者さん方が、皆さんサーッと、お通りになる会長様の両脇に座って、「ありがとうございました」と言って、お礼を申し上げるわけですね。
その際に、会長様のお羽織の袂(たもと)の裾(すそ)がですね、その信者さんの頭の上をスーッと触っていった(会長様は、お羽織にお袴(はかま)を召されていました)
その時、その信者さんは「ああ、ありがたいなあ。これは何か良いことがあるに違いない。ああありがたい」と、おもわず思えたそうですね。
先生に理をいただくまでもなく、会長様が朝のお話の中で、自分が今どうしたらいいんだ、どうしたらこの問題を解決することができるだろうと思ったことを全部お話くださった。
会長様に理をいただいたわけです。
お参拝にうかがったら、全部答えを出してくださった。
ですから、もう伺うまでもなく帰らせていただきましたら、お教会にお参りしている間に、人さんが代わって、自分の困ったことを解決してくださっていた。
ああ、ありがたいことでございましたと言うてですね、2〜3日経って、私が神殿当番をしておりましたらおみえになって、このことを私にお話をくださいました。
初代の会長様が、
「器を持ったら、器の心になんなさい。雑巾を持ったら、雑巾の心になんなさい。ほうきを持ったら、ほうきの心になんなさい」と、優しく分かりやすく、教えていただきましたね。
雑巾の心になるというのは、どういうことだろう。
ほうきの心になるということは、どういうことだろう。
器の心になれということは、どういうことだろう。
私は、奥においていただく折に、時々、粗相をいたしました。
会長様の器を割ったり、器が欠けたりということがございました。
家であれば、ああ割れちゃったといって、ポーンとゴミ箱の中に捨ててしまいます。それだけでございます。
けれども、お教会はそういうことはできません。
会長様の前に出て、「会長様、粗相をいたしました。申し訳ございません」と言ってお詫びをさせていただく。
すると会長様が、一時間くらい、私のためにいろいろとお話をしてくださり、お悟しをくださいました。
そして、「お前さんは、よく粗相をするね」とおっしゃられて、私はもう本当に、器を割っただけでもどうしよう・・・と思っているときですから、もう穴があったら入りたいくらい肩身のせまい思いでございました。
「粗相をするということはね、七度(ななたび)の嘘があるんだよ。嘘といっても、社会でいう嘘と違うんだよ」とおっしゃった。
どういうことかというと、器を持ったら、器の心になりなさい。
器に対して、ああどうもありがとう。器があるから、ものも美味しくいただける。手掴みだったら、美味しくございません。ああ、ありがとう。
そして、その器を、丁寧に何度も洗わせていただく。
「オケに入れるときには、三つか四つ入れて、空になったらまた三つか四つ入れて洗うんだよ。ガチャ、ガチャ、ガチャッとたくさんオケの中に入れて洗っていたら、器がふれあって、三年使えるものは一年でお払い箱にしなきゃならないだろう」と。
「三年使えるものを二年に寿命を縮めたという因縁は、誰がもらうんだえ」とおっしゃった。
へえ、そんなことでも因縁を積んだことになるのかなあと、私はびっくりいたしました。
「三年使えるものを一年で使えなくしちゃう。その使えなくなったもの、因縁は誰がもらう?お前さんがもらうんだよ。だから僕が言っているんだろう。お前さんはいつになったら天理教をやるんだえ、僕は天理教をやっているよということは、そういうことなんだよ」と教えてくださいました。
なるほど、私はその折、自分の妹が九死に一生という大病をいただいていた。
助からないほうが九分、助かるのが一分。
そういうときでございましたから、会長様の器を持っていても、ふっと、今どうしているんだろう?大丈夫かしら。会長様、助けてあげるとおっしゃるけど、本当に助けていただけるんだろうか・・・・
ものは言わなくても、心の中で思いました。
そうすると、パッと、会長様の器が割れてしまう。
会長様の前へ出て、お詫びをすると、
「嘘が多いんだよ。七度(ななたび)の嘘を重ねると、七度めに、こうやって僕の前に出て、申し訳ございませんと言って、お詫びをしなきゃならんことが起きてくる。つまらないじゃないか。一生懸命御用をさせていただいて、褒めてもらうところが、反対に小言を言われていたんじゃつまらないじゃないか」
こうやってね、お茶碗ひとつ割りましても、会長様が事細かに、理の働きということを教えていただきました。
じゃあ、雑巾を持ったら、雑巾の心になる。
今のようにお湯の使える時代ではございません。手先が冷たい。
雑巾を使っても、いい加減にサッサッサーッとバケツの中でゆすいで干す。
それが嘘だとおっしゃった。
「何度も洗わせていただいて、そして綺麗にしわを伸ばして干させていただいて、乾いたら元の場所に納めさせていただく。これが雑巾の心になったという働きだよ。」
「ほうきを持っても、ほうきというのは立てて持つ。寝かせて持っちゃいけない。畳の目なりに掃かせていただくと、畳も傷まない。ほうきも傷まないだろう。」
こんなふうにして私は、初代の会長様に、社会では教えていただけなかったことを、事細かに教えていただきましたことが、今日になって振り返ってみると、大変ありがたいことであったと思わせていただくわけでございます。
以上
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