徳を積ませて頂く事について(3)

 

 まあそういうことでね、皆さん。やっぱり会長様は、形のうえでは、確かに数万の信者さんのいちばん高いところにお座りになっておられましたけれども、お心は、その数万の信者さんのいちばーん下にお座りいただいたお心だったのです。

「僕が昔のように、地べたに茣蓙(ござ)を敷いてのおたすけをしたら、信者さんたちは、僕よりもっともっと低いところに座っておたすけをしなければ助かっていかない。それじゃあ皆さん方に申し訳ないから、いま私は、形のうえで昔のように地べたに茣蓙を敷いてのおたすけはしていないけれども、心は昔と何にも変わっていないよ。その変わらない心を神様が誠真実としてお受け取りくださって、今日の愛町分教会の理の栄えをもたらしているんだよ。ただのものはひとつもないよ」とおっしゃいました。

 

だからね、こうやってお互いにお道を通らせていただくなかに、いちばん怖いことは高い気分になることです。

どんなに低くなっても、それ以上低くならなくていいですよなんていう人はいないの。

だって、会長様が、数万の信者さんのいちばーん下にお座りいただいて、そのお心でお勤めくださっている。

その理は今も愛町には脈々として流れているのですから、皆さん方がどーんなに低く、低い心になって、ああもうそれ以上低くならなくてもいいよということはございません。

ですから、徳を積ませていただくということは、形の上だけでなく、低くなる競争でございます。

社会は高くなる競争です。人より余分に高くなる。人より余分に金儲けしよう、人よりも余分に美味しいものを食べよう、人よりも立派な家に住もうと、みんな苦労している。

お道は違うのです。人さんよりも低くなる勉強でございます。

なんぼ低くなっても、あんたそんなに低くならなくてもいいよということはないよとおっしゃる。

それは、会長様がそういう方で、助けてくださる会長様がそうしてお通りくださったのですから、助けていただく私たちは尚更のことでございます。

ですから、形の上だけではまだ充分とは言えないんです、皆さん。低くなること。

「低くなったら、そうやって物もお金も人も寄ってくる。高い気分では、入ったものも出ていってしまう」とおっしゃいました。

だから、商売が上手だから商売繫盛するんじゃない。商売上手で借金こしらえる人だっていくらでもある。

そこのところですよ。

 

皆さん、一つでもお受け取りをくださって、いよいよ年を新しく明けますと、教祖(おやさま)130年祭を前に、三年千日の旬に入ってまいります。

そういう角目のときは、またお互いも、大きな節を乗り越えていただかなければならない角目になっている。

だから、お教会からも布教所からもいろいろと御用がかかっていくと思いますけれども、それを鬱陶しい(うっとうしい)とか、億劫(おっくう)だとか思って受けてはいけません。

節を乗り越えるための、まだ目に見えていない、自分自身も分からない、神様と初代会長様にしかお分かりにならない、迫ってくる大きな節を、大難は小難、小難は無難として、お連れ通りいただきたいという親心から、いろいろ神様の御用をお打ち出しいただきますけれども、受けさせていただくというこの低い心、やわらかい心、丸い心が大切なんです。

そういう心になってくると、できない事でもできるように成ってくる、お受けをすると。

それは、私どもも、数々体験をさせていただきます。

親のお心を、声を頂いて、できてもできなくっても、お受けをさせていただく低ーい心になって、ありがとうございますとお受けをすると、人間の常識では成らんことが、成ってくるのです。

どうして成ってくるかというと、神様が、初代の会長様が、後押しをしてくださる。

人間の一足は、畳半畳です。けれども、神様の一足は千里、千で言ったら千里、万で言ったら万里、例えようがないという。

もう先回りのご守護なの。先へ行って待っていてくださる。

こういうはたらきを分かったら、本当にお道はすばらしい順序が頂ける。宗教だと思っているから助かっていかないわけですね、宗教だと思っているから。そうじゃない。

こうやって、神様からお預かりして頂いているこの身上、借りものに、必要なものをちゃんと神様がお貸しくださっている。

だから、夫婦でも、自分の主人、自分の家内、自分の子供ではない。神様から、社会生活をするなかに必要であるから、難儀をしないようにお貸しくださっている。

そういう心になってくると、夫婦でも親子でも助け合いのやわらかい心、丸い心、低い心が出てくる。そういうところには、困ったことはなくなっていくわけなのです。

 

そうして、「僕の話は、よそでは聞かれないよ」とおっしゃった。「僕の話はよそでは聞かれないよ」とおっしゃった。本当にそうです。

初代の会長様に教えて頂いたお話を台として、今日は、徳を積ませていただくことは、誠にお道の者として大切でございます。

けれども、形だけにとらわれて、心の運びが神様に添わなかったら、徳を積んでいるつもりが反対に因縁を積んでいる。

お道の信仰をさせていただいて、助かるはずのものが、助けていただけるはずのものが、助かっていかないという現象がわいてまいります。

どうしてだろうと、それは自分の心にある。

初代の会長様のように、「僕ほど低い、僕ほどやわらかい人間はないだろう」とおっしゃる。

「だから、私の真似をしてくれじゃない、万分の一の真似をしておくれ。そうしたら、万分の一の徳が貰える。僕の万分の一の徳というのは、お道を聞かせていただいた時に、困ってどうにもならなかった人が、気がついたら、反対に助かって助かってこまるようになったという姿が、私の万分の一の真似事をしてくださって、万分の一の徳をもらった姿だけれども、それはいま真似をさせてもらったから、ひと月も経ったらご守護が頂けるというような、そういった、とったかみたかの信仰ではないよ。年限が経って、忘れた頃に頂ける。年限が経って忘れた頃に頂けるご守護は、すばらしいよ」と仰せくださいました。

 

会長様のおっしゃったことには、誠に千に一つの違いはございません。おっしゃるとおりでございますから、皆様方、神様を信じて、初代会長様を尊敬して、これから先も、この130年祭を、立派な身体、丈夫な身体でお迎えをさせていただかなきゃなりませんね。

そうして、ご恩返しの信仰をさせていただくことでございます。

 

まあいろいろとお話を申し上げましたが、徳を積ませていただくことは大切なこと。お道の者にとっては、徳を積ませていただくことと、おたすけをさせていただくことは、大切なこと。車の両輪と聞かせていただきますけれども、なかでも徳を積ませていただくということについて、今日はお話をさせていただきました。

 

 

以上

 

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