初代会長様の尊い親心(1)

 

 皆様、本日は大変良いお日和を頂戴致しまして、ただいま秋の御大祭を滞りなく厳粛にお勤めになられましたことは、私も共々喜ばせていただいている次第でございます。

本日は、会長様のご指名を頂戴致しまして、遠いところ伊豆の国からやってまいりました。もう私もたいへん歳をとりましたので、いつもこうした席に立たせていただきます時は、これが最後だなと、もうお目にかかれないかもしれないな、しっかり勤めさせていただこう、そういう心で立たせていただくのでございます。

お話というのは元来、こちらがお話をさせていただくのではなくて、お聞きいただく皆さんのほうが話を引き出していただくのでございます。

よく二代の会長様が「座っている人の中にねえ、ああ聞きたくないなあとこう思って座っている人があるとねえ、話ができないもんだよ」「たった一人でも、ああ聞かせていただこうという一生懸命のお方が座っていると、その人の誠真実によって、どんどんどんどんこちらの口から話が出ていくもんだよ。不思議なもんだねえ」ということを昔聞かせていただいたことがございます。

今日は、皆さんお一人お一人がそういう心になってお聞きいただきたいと思うのです。

 

私は、初代の会長様のおそばで御用をさせていただいておりましたが、ある日突然、お呼びをいただきました。

ああ今日は何のお仕込みが始まるんだろう、自分としては粗相をした覚えはないけれども、どんなお仕込みをいただくのかと思って、おそるおそる会長様のおそばに出させていただきますと、会長様が「長い間、ご苦労さんだった」とおっしゃいましたから、もう私はビックリしちゃったの。

「長い間、ご苦労さんだったね。さあ僕が許すから、今日から神殿に出させていただいて、神様のお話をさせていただくんだよ」とこういうお許しを頂戴したのでございますが、ああ神様は、ようく一人一人の心をお受け取りになるもんだなあと思って、驚いたことを覚えております。

といいますのも、それより遡ること4,5日前に、ある事がございました。

私は、会長様から常々、自分の因縁・家柄の因縁ということを教えていただいておりまして、ようく承知をさせていただいているつもりでございましたけれども、それは、つもりでございました。なかなか、承知のできるものではございませんでした。それが、ある日突然、私はおぼろげながらでも、初代の会長様に教えていただいた因縁の自覚ということに気がつかせていただいたのでございます。

以前、会長様は「ああ、お前は、胸(肺病)が出るよ」とおっしゃった。「そうして、このままいったら、お前さんの家は一家が散り散りバラバラになって、みんな死に絶えてしまう因縁の家だよ。けれども、これから神様を信じて、この僕を信じて通っていってくれたら、この僕の徳の傘の中に入れて連れて通ってあげよう。けれども、いくら助かりたい助かりたいと思っても、いやその話はお受けできますけれども、こっちの話はちょっとお受けできませんということであっては、いかな僕でもお前さんたちを助けてあげることはできないよ」とおっしゃられましたねえ。こうして遠藤家は、母をもとにして、家族がお道をさせていただくことになったわけでございますけれども、ああそうであったなあ、まさしく自分はそういう悪因縁の者であったということにようやく気が付かせていただくことができました。

どういうことか分かりませんけれども、二代の会長様は、奥に勤める女さんのことを女中とおっしゃった。「奥の女中がね」と、こうやって人に話すときにお話になった。お勝手でお勤めになっているご婦人さんのことは「炊事場の青年」とおっしゃったけれど、奥の女さんのことはなぜか奥の女中とおっしゃった。それを聞くたびに私は、「なんで女中と言われなきゃならないのかなあ。私はここへ女中に来たつもりはないけどなあ。お道をさせていただくために、この初代の会長様に惚れこんでここへ入ってきた。ここまできて女中をするつもりはないがなあ」と口には出しませんけれども、そういう声を聞くと常に心の中に思いました。自分の心で思うことですから、自由でございます。ただ、人からは分からないけれども、自分と神様はよく分かっております。

ただ、ある事がございまして、ああそうであったなあと、私のようなこんな因縁の悪い者、一代命のある限り奥においていただいて、奥の女中と言われて一代通らせていただきますと思わせていただくことができたのです。

奥の女さんというのは、当時いかにも外から見ると格好良く見えますけれども、大変なお勤めでございました。まあ言うなれば、ねじり鉢巻きをして、たすき掛けで尻まくりして、てんつくてんつく朝から晩まで夜寝るまで働かなければ、会長様の御用を勤めることはできないような時代でございました。

でも、私は、「そうして一代、これから命のある限り、奥の女中と言われて勤めさせていただきます」こういう心定めをさせていただいたんですねえ。

そうして夜遅く、教祖殿にまいりまして、教祖(おやさま)にとくとお詫びとお願いをさせていただきました。

そうして、何日か経ったある日のこと、先ほど申し上げたように、会長様から「長い間、ご苦労さんだったなあ。さあ僕が許すから、これから神殿に出させていただいて、神様の御用をさせてもらうんだよ」とお許しが出たのでございます。

私はそのお許しを頂きたいから、こういう心定めをしたわけではございません。なるほどこれが天理教というものかなあと、これが神様のお姿というものであろうかと、まあ分からないながらも、そのときに思わせていただきました。

そうして、会長様がおっしゃったことは、「お前さんは、ちょっとぐらい人より頭がよいからというて、これから神様の御用をさせていただく中に、自分の考えをしゃべって歩いてはいけないよ」と。「これから神様の御用をさせていただく中に、自分の考えを交えて話をして歩いてはいけないよ。長い間、僕の姿を見て、僕の話を聞いて通った。これからは僕の話を、皆さんに聞いていただくんだよ。そうして通らせていただくんだよ」と、かようにですね、そのとき会長様からおっしゃっていただきましたお言葉の上から、今日、私も、六十有余年経ちました。

二十六歳のときに教会に入り込みをさせていただいて、年が過ぎ去って、気がついたら六十二年になります。私は、このときの会長様と、「分かりました。おっしゃるとおりに通らせていただきます」とお誓いを申し上げたことは、今も堅く守って通らせていただいてまいりました。

 

あるとき、私は、会長様のお許しをいただいて、講習に出させていただくことになりました。当時のご本部には、初代の会長様の不思議なたすけをなさるということが、いっぱい情報が入っておりました。白目のお子さんに黒目ができた、まあこういうお話は、枚挙にいとまのないほどに、ご本部には流れておりました。そんな時代でございました。

講習に出させていただく中に、ご本部の先生が代わりあって「初代の会長様のご日常を話してください」とおっしゃるの。会長様のご日常のお話でございますから、この目で見ている、この耳で聞いていることですから、何も難しいことではございませんでした。

お話を申し上げると、どなたも感心をして聞いてくださいました。しかし、おっしゃることは皆一つ、「私たちも、愛町の関根会長様のあのなんでも助かっていくすばらしい理が欲しい。けれども、会長様の真似は三日しかできません」とおっしゃった。会長様はこうでああでとご日常をお話申し上げると、「ふううううん」と言って、はじめて聞かれるように不思議に聞いておられました。そして話が終わると、「ああすばらしい方ですなあ。けれども僕らは三日しかできない。三日以上やったら死んじゃいますよ」とおっしゃる。

なるほど、今、愛町分教会はすばらしい。世界に類の無い理の立つ教会ではあるけれども、信者さん方は、神様のこともよく知らない、教祖(おやさま)のこともよく知らない。ある信者さんが、おさづけを頂かれるについて別席を運ばれたときに、ご本部の先生から「本教でいちばん偉い方はどなたですか?」とこう尋ねられたそうです。そしたら、「はい。愛町の関根豊松先生です」って言っちゃった。それくらい信者さん方が「会長様――――!」という信仰で、天理教のこともよく知らない、ただ「会長様―――!」という信仰でございました。

 

 

(1)  以上

 

 

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