初代会長様の尊い親心(3)

 

 二代の会長様も、理には厳しい方ですから、お別荘のできたときには「おい遠藤」って言って私は呼ばれた。「あのなあ、お前のとことは、三度行ったり来たりできる。隣組は違っているが、町内は同じ。けれども、近いからといってね、会長が行ったときに理なんていただいたら承知せんぞ!」とおっしゃった。まあそんなことは私もいたしません。だけどそうおっしゃった。「そうして会長様が行ったら、歌の歌える者は歌を歌って、芸のできる者は芸をして、会長様にお喜びいただくんだよ。いいか、分かったかい」

まあ私はもうこれはえらいことになったと思った。理を頂いたりお伺いすることはいたしませんけれども、芸人さんを連れてきて歌ったり踊ったり芸をして会長様にお楽しみいただく、これはえらいことです。至って私は無粋な者でございますから、そんな方に知り合いもない。熱海にはいくらでも芸人さんいますよ。けれども、お金を出して連れてきて芸をしてもらっても、会長様はなんにもお喜びにならない。

「あの会長様、この方は手が動かなかったんですが、手が動くようになりましてねえ。今日は、御礼に踊らせていただきます」

「声の出ない人ですけど、声が出るようになりました。今日は、歌を歌わせていただきます」

そういう成ってくる理を、初代会長様は「ああそうかい、ああそうかい」と言ってね、喜ばれた。だから、なんぼお金を出して、立派な芸人を連れてきたってダメ。私も思わず頭を抱えましたが、親の声でございますから、「分かりました。承知致しました」とお返事を申し上げた。

まあそれからはもうノイローゼ。ああどうしたらそういう人に“にをい”がかかるんだろう、どうしたらいいんだろうといってね。でもねえ、初代の会長様のお徳は偉いものですねえ。また、できてもできなくっても、親の声をいただいてお受けをさせていただくというこの素直な心というのは、神様は喜んでくださるんですねえ。

ある日、母がときどきお世話になっているマッサージの先生から、「遠藤さん」って電話がかかってきた。うちの母はね、この神様のお話、初代の会長様のお話がしたくってマッサージに行くんです。向こうさんは商売ですから、「ああそれで!ああ!」と言って聞いてくれるから、喜んでお金を落としに行く。その先生から、「遠藤さん、今ねえ、こうこうこういう病人がきて(心臓が悪い方)、もうこれ以上ね、僕んところお金落としてもらってもこれ以上は治らない。限界。あんたんところで治るかね?」とこういうわけですね。

ああこれも神様だなあと思って(その人たちが芸人さんっていうことは、このときはまだ知りませんよ)、ああこれもひとつ“にをい”がかかるかなと思いまして、「私たちには治す力はありませんが、会長様のお徳で治ります」とお返事をいたしましたら、先生も「そうかね!ちょっと待ってね」と言って、その方に確認をいたしましたら、行くっていうわけです。そして、来てくださいました。

そうして、「とにかくひと月、日参をしてください。治っても治らなくても、ひと月、毎日あなたにおさづけというものをお取次ぎさせていただきます。それでその心臓の身上は、初代会長様がたすけてくださいますよ」とお話をさせていただきましたら、ひと月で治っちゃった。もう苦しくなってくると、コップぐらいのものでも心臓に負担があって持てなかったのに。

またその方がねえ、親子夫婦3人が、花柳流の名取さんなの。どうです皆さん。そして芸人さんなの。当時熱海には、芸能社という名前の芸人さんのかたまりが五か所くらいあった。その中でいちばん大きな八幡屋(やわたや)という芸能社の芸人さんだった。

ご守護いただいて、「なんぞ御礼をさせていただきたいが、何をさせていただいたらよろしいですか?」と尋ねられましたので、「ああそうですか。実はこういうふうですけど、あなた、会長様の前で踊ってくださいますかねえ?」と申しましたら、「ああそんなことなら、いとやすいこと」というふうになりまして、会長様に、「こうこうでしたが、治りまして、会長様ありがとうございました」って言って踊らせていただいたら、会長様も「ああ上手いぞ!上手いぞ!」とおしゃって、そりゃあ芸人さんですから上手いですよ、笑うところは笑って、大したものですね

そしたら今度は、「あんなに会長様が喜んでくださるんですから、毎度来るたびに、あなたの所属している芸能社の芸人さんに声をかけて、ひとつお願いできませんか?」「ああそのくらいのことなら、いとやすいことです」とこういうふうで、30人くらいの芸人さんがいたんですねえ、代わりあって、初代の会長様がお別荘にお帰りになると、皆さんが駆けつけてきてくださって、芸をしてくださったものです。まあ本当に、なんともかんともいえないね。誠に、会長様は退屈をなさらず、お忍びをいただいたことの一つでございます。

ですから、そうして会長様に喜んでいただこうと一生懸命なさっている芸人さんには、皆一人ひとりが不思議なご守護を当時頂かれたものですね。

 

こうして通らせていただきましたが、その1月20日の日ですね。初代の会長様が、どうしても私のところへおみえになって、おつとめさんをなさりたいとのことで、「えらいことだよ、会長様がおみえになるそうだよ」と。いつもは、会長様が朝お目覚めになってお食事が終わると、襖を開けて、信者さん方が「会長様おはようございます」とご挨拶して、また襖を閉めて帰るというそういうふうでしたが、このときに、じゃあたまにしか会長様にお目にかかれないから、あっちの人はここへ電話、こっちの人があっちにというふうで、みなさんが電話をかけあってお待ち申し上げておりましたが、おみえにならないので、初代の所長と私と途中までお迎えに上がりました。

そうしましたら、会長様が青い顔をして、途中でこうお立ちになっておられた。親奥様とお伴の方が一人ついて、「どうかなさいましたか?」と言ったら、「ちょっとご気分が悪くなってねえ」とおっしゃった。

普通でしたら、奥様もまた私も「またという日もございます。今日はお帰りいただいたらいかがでしょう」と申し上げる。だけどそんなことを会長様に申し上げることは、とてもおそろしいことだと思うほどに、会長様のお顔は、恐い厳しいお顔をなさっておられました。もう声をかけることがおそろしくてできなかった。

そこで、じゃあひとつね、会長様のお頭(おつむ)を両手ですくうようにそおっと持って、御御足(おみあし)のところもこう支えて、お神輿のように会長様をそおっと支えて、手前どもの布教所にお運びをくださることになった。

その途中にね、あるお家のところの垣根から熱海桜が出ていて満開だった。「会長様、桜が綺麗でございます」とお声をかけましたが、会長様は「ああ綺麗だねえ」とおっしゃったけれども、こうやって目をつぶったままご覧にはなりませんでした。ああ余程えらいのかなあと思いつつ、玄関までまいりましたら、会長様が「信者が心配をするからここで降ろしておくれ」とおっしゃった。

でもその前に、お召し物を取り替えるべく持ってまいりましておこたに温めてございましたので、お召し替えをいただきまして、奥様が「遠藤さん、もう下(畳)でね、お参りをなさるから、あなた方で朝づとめをしてください」そうして私どもは、会長様の御前で、朝づとめを勤めさせていただきました。

終わると、親奥様が「遠藤さん、会長様におさづけをお取り次ぎをさせていただきなさい」とおっしゃった。もったいないことですから、とても手が震える。でも、再度仰せになりましたから、「ありがとうございます。お勤めさせていただきます」と言うて、初代会長様に、おさづけをお取り次ぎをさせていただいたわけでございます。

そうして会長様が、「どうしてこんなに急に、気分が悪くなったんだろうねえ」とおっしゃられた。ちょうどその日は、麹町大教会の清次郎会長様がお出直しになった日だった。「ああそうか、今日は、清次郎会長さんがお出直しになった。その日に僕はこうやって急に気分が悪くなったということは、清次郎会長さんが、関根さん頼む頼むと、何かを頼んでいる。なんだろうねえ」とおっしゃった。親奥様が「実は…」とおっしゃって、大教会のことについてお話をなさいました。

「そうかい、それでこんなに気分が悪くなったんだね。ああ誰がやらなくっても、僕一人でも、そのことについては徳を積ませていただくから、心配をしないように、心配をしないように、麹町大教会の会長さんに伝えてほしい。それには、孝雄さん(二代の会長様・当時は若先生と申し上げた)をここへ呼んで、伝えて、麹町へお話をしたらどうだろう?」と。「でも会長様、もうじき23日にはお帰りになられるんですから、お定めになられたら、それでよろしいんじゃございませんか?」とおっしゃったの。そうしたら「ああそうだねえ」と、その日はまあそうおっしゃったんですねえ。そうしてその後、お車がお迎えにまいりまして、お車でお別荘へお帰りになられた。

 

この朝、なぜそうまでして手前どもの布教所にお参拝をくださったかというと、その日の朝、会長様が朝パッとお目覚めになったときに、「僕は、今まで本当に違っていたように思う」とおっしゃったの。奥様が、「そんなことはございませんよ、会長様」と申し上げたら、「いやあ、そうじゃないんだよ。僕が大病した後、みんなが僕のことを心配してくれた。それはよく分かる。けれども心配のあまり、僕もたまにはみんなの顔が見たいなあと思って神殿に出て座るなり、ああもう会長様けっこうでございます、どうぞ奥にお引けになってくださいと、もう座るなり言われちゃう」。「そうかい、僕は奥へ引けるけれども、みんな用はないかい?」とおっしゃっても、用は大ありあっても、役員さんがこうみんな見ているから、こわくてそんな「会長様」なんて言えない。みんな心に残して、会長様も、「後ろ髪を引かれるような思いで、いつも奥に引けたよ。それがたいへんに違っていたように僕は思う」とおっしゃった。「だからそのお詫びと、今度教会に戻らせていただいたら、昔のように一日に一回は神殿に出させていただいて、神様のお話を皆さんに聞いてもらいたい」と、このお詫びと心定め。

 

(3)以上

 

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