初代会長様の尊い親心(4)

 

 ですから、お召し物も冷たいまんま。一時間くらい前に、おこたに入れて温めたものをお召しいただいていたの。もう冷たいまんま。お水一滴も召し上がらないで、寒い中をお出ましをいただいた。ご気分が悪くて。でもそういうことで、手前どもの布教所に、最後のお入り込みをいただいたのでございます。

「神殿に出ていくと、皆が心配をして、ああもう会長様けっこうでございます、さあどうぞ奥へお引けになってというので、そうかいと言って僕はいつも後ろ髪を引かれるような思いで奥に引けたよ」とおっしゃったそうです。

「だから、神様の前でそのお詫びと、これから教会に戻らせていただいたら、また昔のように一日に一回は神殿に出させていただいて、神様のお話をさせてもらいたい。その心定めがしたいから、神様の前に連れていっておくれ」とおっしゃって、お出ましをいただいたということでございます。

こうして、お帰りはお車でお帰りをいただきましたが、まあ心配をいたしまして、土地のお医者様に診ていただきました。そしたら、「どうもお風邪を召されたようだ。けれども肺炎でもなんでもない、ただのお風邪ですから、まあ熱海は暖かなところでございますから、2〜3日ゆっくりお休みをいただいたら、お元気になってお帰りいただけますよ。どうぞお大事に」と言って、お医者様はお帰りになったんですねえ。親奥様も、そばに仕える私どもも、「ああ良かった、良かった」とほっと安堵したのでございます。

 

こうして明けて21日。

20日の日は、小春日和のちょうど今日のような風もないお暖かな日でございましたが、明けて21日は、朝からどんよりと雲。今にも白いものでも降ってきそう。そのうちに、氷雨混じりの雨が降ってまいりました。

そこへ、あるところの布教所の信者さんが、脳梗塞で倒れた方のおたすけをなさった。会長様のお徳でだいぶん良くしていただいた。名古屋のお教会まではちょっと行けないけれども、この喜びを会長様にお伝えして喜んでいただきたい。熱海ならなんとか行かれるということで、おみえになられたのでございます。

「奥様どうしましょう?会長様お休みいただいている。どうしましょう」と申し上げたら、奥様も「そうねえ…困ったねえ。まあどうしよう、どうしよう」ということでしたが、結果、「またという日もあるから、今日はふすま越しに会長様に御礼を申し上げてお帰りいただいてちょうだい。またという日もある」と。「そうですねえ、またという日もありますねえ」

そのことを信者さんに申し上げたら、よく理解をしてくださいまして、「分かりました」とおっしゃって、長い間かかってねえ、会長様のお部屋の方を向いて、ふすま越しに御礼を申し上げておられました。そうしてお帰りをいただいたわけですね。

私は、御用ができてお部屋に入れていただくと、入るなり会長様が「なんだえ?」とこうおっしゃった。「何もございませんが」「そうかい」と。けれども5分くらいしたら「どうしたんだえ!?」と、こうやって語気も厳しく私にまたおっしゃったの。ああこれは、会長様の理にはうつっている、黙っていては会長様に不敬になると思って、今のことを申し上げたんです。

「また会長様がお別荘にお帰りになるときにおみえになるそうでございますから、会長様」と申し上げたら、ところが会長様は、「連れておいで!ここへ連れてきなさああい!」とおっしゃる。

連れてきなさいとおっしゃっても、いくら身上の方でも、あの100mのだらだら坂をなかなか時間かかりますが、3〜4分するとあそこにタクシー会社がある。「もう車に乗って熱海へ走ったか、あるいは駅へ着いているかも分かりません」と申し上げた。そうかい、それならまあこの次かいというところですが、会長様は、「汽車に乗ってもいいから、連れてきなさああああい!」とおっしゃった。

まあえらいこったあというわけで、汽車に乗った者を連れてくるって、こんな大変なことはない。これから何かあってはいけないので、青年さんが一人おりましたので、「ちょっと大変だよ!会長様がこうおっしゃった。早く飛んでえ!タクシー会社まで飛んでえええ!」とお願いをした。

そしたら、その青年さんが走ったら、まあ本当に間一髪。右の足が入って、左の足が入って、入ったらサーっと車が走るところで、「待って!待ってええ!」っていうわけなの。そうして、簡単に言うて、背中におぶってその坂道を上ってきてくれました。

「会長様、連れてまいりました」って言ったら、「そうかい、ここのお部屋の中に入れておやり」とおっしゃった。入れておやりとおっしゃっても、お布団がこう敷いてあってお休みいただいているから、八畳のお部屋ですけど狭いですね。でも、会長様が入れておやりとおっしゃるんですから、「どうぞお入りください。会長様がお入りとおっしゃっておられます」と。そのときに、親奥様と私ともう一人お供の女さんと、三人お部屋におった。

その信者さんも、まあお部屋の中へこう入ってきても畏れ多いねえ。そんな間近でもって会長様にお言葉を頂ける、お顔を拝するなんてことないでしょう。もう畏れ多くて、こんなに身体を縮こませて小さくなっちゃった。

信者さんがねえ、「こうしてこうでこうでしたが、たいへん良くしていただきました」と御礼を申し上げて、会長様も「そうかい、こちらへおいで。僕が撫でてあげるよ。こちらへおいで」と、お休みになったまんまおっしゃった。だからきっと会長様はお横になったまま手を伸ばされて、その病人さんを撫でてくださるに違いないと私は思いました。

信者さんが会長様のほうへいざって来まして、会長様は「もっと、もっと側へおいで。もっと側へおいで」とおっしゃった。ああ撫でてくださるんだなあと思って頭を下げた瞬間ですね。あっ!という瞬間ですよ。あんなお力がね、会長様におありになったのかと思うくらい。常にはね、お立ちになるときは両方でこう支えてお立ちいただいたの。常の生活はですよ。それが、誰も支えないで、お病気で休んでいらっしゃる会長様が、お布団をパッと、パッと剥がしてですよ、サッとお布団の上にお座りになってしまった。もうビックリいたしましたね。

奥様もビックリなさって、「ああ会長様!そんなことをなさっては、お身体に障ります」と。けれども、「いいんだよ、いいんだよ。このとおり僕はもう座ってしまったよ」とおっしゃって、こうやって向きを変えられてね、「もっと僕の側へおいで、僕の膝のところまでおいで」とその病人さんにおっしゃってくださいました。

まあその病人さん、なんだか知らないけど鼻水と涙でぐっちゃぐちゃになった。連れてきた方だって、涙、涙。私どもも、なんだか悲しいわけじゃないよ、つらいわけでも苦しいわけでもなんでもない。なんとも言えない熱いものが胸の中からもう沸いてくるの。皆、おいおいおいおい、部屋中の者が泣いちゃった、感動のあまり。

そして会長様がね、胸をこう、その方の胸を三度撫でてくださいました。「後ろをお向き」とおっしゃって、また背中を三度お撫でくださいまして、「手を上に上げてごらんよ」とおっしゃって、その病人さんも、会長様に喜んでもらいたいという一生懸命ですね、こうやって、ゆっくりゆっくり手を上に上げられた。「ああよしよし、横へ広げてごらん」って言ったら、またこうやってね、ゆっくりゆっくり横へ広げられた。

「これで大丈夫だよ。けれども、お前さんが助かっているんじゃないよ。天理教が助かって、愛町分教会が助かって、僕が助かっているだけだよ。じゃあお前さんは、どうしたらこれから助かっていくかというと、その助かった身体を、これからどこへでも持っていって、私はこういう身体でしたが、愛町の会長様に助けていただいて、こんなに元気にならせていただきましたと言うて、人さんに話を聞いてもらうんだよ。そうして、お前さんが本当に助かっていくんだよ。いいかい、分かったかい」とお話をくださいました。

これは、この病人さんだけでなく、皆お互いにそうですよ。助かりたい間は、言うことを聞きます。助かっちゃうと神さんの言うこと聞かない。だからいけない。助けていただいたら、助けていただいたご恩を、生涯忘れてはならない。忘れないということは、神様の御用をさせていただくことなんです。そうして本当に、因縁を消していくのがこのお道の信仰で、ただ良い話を聞いたから、ああ一時助かったから、そんな軽いものではないよと、よく会長様に教えていただいております。

こうしてこの方は、喜びの涙の中にお帰りをいただいたのでございます。

 

明けて22日に、初代の会長様は永遠の眠りにつかれたのでございます。

本当にこの方が、最後のおたすけをいただいた方で、それからご守護をいただかれまして、最寄りの布教所にお運びをなさって、この話をして歩かれた。晩年には、本当に長寿を全うして、老衰というかたちで、静かなお別れをされたということを聞かせていただいております。病抜けをしたの。

まあ私は人間心から、会長様にご心配をかけてはいけないという人間心から、またという日がありますからねって言ってお断りしていたら、大変なことになるところだったねえ。

でも、会長様の親心で、もうおえらくないことはない(おつらくないことはない)、えらい(つらい)に決まっている、明日はお別れなさるお身体ですから。それを忘れなすって、遠いところから、会長様に会いたい、御礼が申し上げたいと言って、その雨の降る中を不自由な身体で訪ねて来られた、その信者さんの心になってくださった。そうして喜ばせてくださったのでございます。

 

なぜ愛町が栄えているのでしょう。初代の会長様がお出直しになって四十年も経ちまして、今なお理が栄えているということは、この初代の会長様が、信者さんを大切になさったということですよ。

この初代会長様が、子どもを想われるところのこの親心。この御心を、お互いに忘れてはならない。それが私は、四十年祭だと思わせていただきます(平成21年)。だんだんと風化してまいります。

 

(4)以上

 

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